辺野古沖船転覆事故については私が常々言っている通り、一部を除くオールドメディアでは「報道しない自由」を行使し続けているため、紙や電波から得られる情報が極めて薄くかつ偏っている状態が続いています。辺野古のカツドーカどもやその周りがいかに胸糞悪くなる連中かということは、まるで記事になりません。

ネットを使わない層、あるいは使っていてもニュース源にしていない層の人たちは、この事故の様相を知らないし、カツドーカ周りの実態も知らないことでしょう。ネットのない時代だったら国民の大多数がだまされていたおそれがありますし、実際そうだったのだと思います。

そして──今日もオールドメディアは京都男児遺体遺棄事件に絡むスピンオフの野次馬記事をせっせと流しています。馬鹿なのでしょうか。

辺野古のカツドーカどもは人でなしと言っても過言ではないどころか、むしろ言い足りないほどです。事故の遺族のもとへ謝りにこようともしないらしいですよ。

一方、日記で記した数日間に登場しない方達がいます。
書きたくても書ける内容が無い人たちです。

平和丸の船長、乗組員、ヘリ基地反対協議会その他の関係責任者達

沖縄にいる間、知華や私たちへ対面しての直接の謝罪、面会可否の問い合わせ、託された手紙、弔電、何ひとつありませんでした。学校、ツアー会社、中城海上保安部のいずれのルートでも問い合わせがなかったことを確認しています。

私はこれを、どう理解すれば良いのでしょうか。

「事故後からの流れ 3月19・20日」(4月17日) << 「辺野古ボート転覆事故遺族メモ」]

まあ、そうでしょうね。カツドーカどもに社会常識なんてものはかけらもありませんから。幼稚園児の頃に夢中になっていた戦隊ヒーローごっこのまま高齢まで無駄に生きてきて、自分たちはあくまでもショッカーと戦うかっこいい仮面ライダーであり、市民になじられて頭を下げさせられる筋合いなどないというセーギノミカタ根性が骨の髄まで染み付いている奴らですし。

ところで、大事故や大事件の際の報道の様子を思い出してみてほしいのですが、上記記事のような事柄は普通、メディアが取材して報道するものです。夜のニュース番組なら「今日の特集」とかの扱いです。ところが、このたびの辺野古の件においてオールドメディアはほぼそろって「報道しない自由」を行使し続けており、遺族が自ら情報発信をしたあとにようやく渋々それに追随してコタツ記事を出しているありさまです。この国のジャーナリズムはもう腐っています。

ほんの30年ほど前の、ネットのない時代のままだったら──この事故にまつわることはまるで事実と異なる様相でニュースにされていたでしょう。恐らく〈修学旅行の高校生たちが辺野古工事に抗議する意思を持って乗り込んだ活動家の船が、全く予見不可能だった大波に呑まれて転覆し、海上保安庁が意図的に救助を遅らせたため高校生1名が不幸にも亡くなった。海保が悪い、国が悪い、アメリカ軍が悪い〉というあからさまな歪曲報道がされていたでしょうね。そう考えると恐ろしくなってきます。あまり表沙汰になっていないだけで実際そういう事例はいくつもあったのでは。今はネットのある時代で本当によかったと思います。

また、アチラ方面の連中はこんなことをほざいています:

すでに分かっている事実と全く異なることばかり言っていますね。

辺野古沖船転覆事故については、日々情報が追加更新されている(ただしオールドメディアではほとんど報じられない)が、聞けば聞くほどにカツドーカどもや学校側への不信が増すばかりである。特にカツドーカどもに対しては日増しに嫌悪が強まり、もはや彼らは人の皮をかぶったナニカではないのかという思いさえしてくる。

なぜ辺野古のカツドーカどもはあんなふうに、まるで人の心を持っているとは思えないような言動を平気でさらすのか、私には全く理解できないのだが、ここ数日で少し見えてきた部分がある。どうも彼らはこのたびの事故を、本気で、〈自然災害〉か何かだと思っているようなのだ。すなわち、高校生の死傷者のみならず、船長や乗組員を含めた自分たちもまた〈被害者〉だと考えているようなのである。

たとえば、大雪注意報の出ている日に、ワゴン車タイプの白タクが定員いっぱいの客を乗せて出発したとする。その白タクの車両はふだん右翼の街宣車として酷使しているためボロボロで、車検は通しているものの日常点検などやっていない。タイヤは夏タイヤのままで、しかも溝がかなり浅くなっている。そんなワゴン車に客を乗せて、すでに雪がちらついている中を出発だ。そんな危ない車で高速道路に上がってみたら、大雪の区間があるから冬タイヤを装着するように注意喚起が電光掲示板でなされているが、そんなものは無視し、制限速度も超過して高速道路をひた走る。すると、ある地点から雪が急激に激しくなり、路面状態もいきなり悪くなって、これはまずいのではないかと思う間もなく、車は派手にスリップして事故を起こし、客の1人が死亡する悲劇となった。

この場合、第一には運転手に事故の責任があるということは、誰でも常識的に分かるであろうし、運転手の責任については教習所で教わるところだ。しかしながら、辺野古のカツドーカどもの場合はこれを「雪のせい」と言い張っているようなものである。有り体に言って全く社会常識がない。

カツドーカどもはさらに「大雪注意報は出ていたが、出発の時点で雪はちらつく程度だったから、あんなにひどい大雪になるとは予見できなかったし、無謀なドライブを始めたわけではない」「冬タイヤ規制の注意喚起はあくまでも注意喚起にすぎず、検問があってそれを突破したりしたわけではない。ちゃんと検問していなかった警察が悪い」などなど、耳を疑うようなことばかり抜かすのである。そして、やはりと言うべきか「我々の活動を邪魔に思っている勢力が、今回の事故を政治的に利用しようとしている。我々はこの苦難を乗り越えて活動を続けていかねばならない」というような趣旨でいよいよ結束を固めており、仲間内からまともな批判の声が上がらないという、まるでカルトそのものの姿を呈している。

とにかくカツドーカどもには社会常識がない。足りないのではなく、全くない。社会常識が全くないから、一般の人々とは全く話が通じない。カルトだからしょうがない。事故当日の夜、記者会見を開いた彼らは、薄汚れた格好で現れて、ほとんどは会釈程度にしか頭を下げず、中には会釈程度にも頭を下げない者もおり、椅子にふんぞり返って腕組みをしたりしていて、ネットでは大いに非難された。が、彼らはなぜ自分たちが叩かれているのか、恐らく本当に理解していない。そう、「我々の活動を邪魔に思っている勢力が、今回の事故を政治的に利用しようとしている」というのが彼らの発想であるから、自分たちは〈事故を起こして高校生を死なせた当事者側〉ではなく〈政治信条ゆえに誹謗中傷され弾圧されている被害者〉だと思っているのであろう。

百歩譲って、カツドーカどもはスーツなどとは全く無縁の人生を生きてきたから、そんなパリッとした服装の持ち合わせはないのだとしよう。しかしそれでも、せめてあの薄汚れた身なりではなく少しでもきれいな衣服に着替え、腕に喪章を付け、腰を90度折って頭を10秒間下げる程度のことはできるはずだ。それができない、あるいはやらない、もしくはやりたくないのは、やはり最低限の社会常識すらわきまえていないからであろう。

常にセーギの旗を掲げて、意に背く者たちを攻撃して生きることしか知らなかった、独善かつ無謬主義のカツドーカどもの、それが末路のようだ。

気温40℃以上の日の名称が「酷暑日」に決定したそうです。

私の提案した「鬼暑日」は残念ながら採用されませんでしたが、「「その他」のご意見」の例としてプレスリリースに記録されるという偉業を達成しました(笑)

まあ、「酷暑」という言葉自体は昭和の頃から使われているもので、なじみがありますし、日本気象協会(tenki.jp)がすでに独自に使用しているものでもあるため、順当な結果ではあると思いますが、つまらないですね。

さて、今年の夏も記録的な暑さになると予想されているので、初の「酷暑日」が記録されることになるのでしょう。「全国○地点で酷暑日」というニュースを見ることになりそうです。

テレビやラジオで放送された事柄についてBPOに視聴者の意見が寄せられるのは普通ですが、〈放送されていない事柄〉についての意見が多数相次ぐというのは異例ではないでしょうか。

4月10日に開催された同委員会[BPOの放送倫理検証委員会]では、3月に寄せられた視聴者・聴取者意見が報告された。その中で特に際立っていたのが、沖縄県辺野古沖で発生した船の転覆事故(女子高校生ら死亡)に関する指摘だ。

議事概要には、「放送局全体で報道する回数が少ないのではないか」という批判が相次いだことが明記されている。

当該の議事概要はこちら:

近年オールドメディアの信用がひたすら失墜していっていますが、もういいかげんに彼ら自身がちゃんと自覚して改めないと本当に手遅れになるでしょう。このたびの辺野古沖船転覆事故は信用を取り戻す最後の機会だと思います。

四十九日に当たる5月3日がポイント・オブ・ノー・リターンです。遺族の気持ちがそこそこ落ち着いて、しかるべき行動を起こすのが四十九日からですので。新聞もテレビもゴールデンウィーク前に方針を明確に切り替える必要がありますよ。