陰暦七月(陽暦8月中旬から9月上旬ぐらい)の頃はひどく暑いものだから、戸も窓も開け放したままで夜を明かすのだが、寝覚めた時、外に月が見えるというのも風情のあることだ。闇もまたいい。もちろん、有明の月の佳さなんて、わざわざ言うのも愚かである。
女官の局の、板間の端の近く、外に面した辺りに鮮やかな畳一枚を敷いて、三尺の几帳を奥のほうに押しやっているとは、これはつまらない。几帳は端にこそ立てるべきだ。きっと外の目よりも、奥の目を気にしているのであろうよ。
彼氏はもう帰ってしまったのだろう。女は、裏地は濃紫、表地は薄紫であまり色あせていない、艶やかな深紅の綾織り模様、糊の利いた衣を、頭まで引き上げてかぶって寝ている。香染の単衣、もしくは黄の生絹の単衣、紅色の単衣を着ているが、袴の腰紐が長々と衣の下から引かれているのも、ほどいたままと見受けられる。かぶった衣からあふれた髪が、そばに重なってゆったりしているところ、その長さが推し量られる。
さて、どこからの朝帰りであろうか、男が一人、早朝の濃霧の中から現れる。二藍の指貫に、ほのかな香染の狩衣、白の生絹に紅が透けているようなのは悪くない。霧にすっかり湿ってしまった艶やかな衣を脱ぎ、少し乱れた鬢を烏帽子に押し入れている様子も、しどけなく見える。
朝顔の露が落ちてしまう前に文を書こうと、帰り道にも和歌を思案しながら「麻生の下草…」などと口ずさみつつ、自分の住まいのほうへ向かう途中、格子の上がっている例の局を見かけたので、簾の端を少し引き上げてのぞき見る。「これは彼氏が起きて帰っていったものと見える。その男も私のように、朝露によせて文を案じたりしているだろうか」と思う。
しばらく見回していると、枕の上のほうに、朴の木の骨に紫の紙を張った扇が広げられたまま置いてある。陸奥紙の畳紙を細くした、縹色か紅色かに少し染めた短冊も、几帳の下に散らばっている。
人の気配を感じた女が、かぶっている衣から顔を出してみると、男が笑って長押に寄りかかって座っている。疎遠な間柄ではないが、かといって恋人同士のように打ち解ける気持ちもしないので、「変なところに来るんだから、もう」なんて思う。
「こよなき名残の朝寝でいらっしゃるね」と男が言いつつ簾の内に半ば入ってくると、「露が置くより前に帰ってしまう彼氏が憎たらしくて」と女が言う。風流なことでもないし、とりたてて書くべきことでもないが、こんな会話をする様子は悪くない。
枕の上のほうにある扇にはどんな後朝の歌がつづられているのかと、男は取り寄せようとするが、女はちょっと近すぎはしないかとドキドキして、思わず引き下がる。男は扇を手にして見たりしながら「そんなにお疎みにならなくても」と、ちょっと怨み言めいたことを言う。そのうちに明るくなってきて、人々の声もし、日も出てしまうだろう。霧の薄れないうちに急いで書こうと思っていた文も、遅れてしまうことが後ろめたい。
この局から先刻帰っていった彼氏も、いつしか、露に濡れたままの萩を折って文を付けて女によこしてきたのだけれど、こんな状況だから、やって来た使いの者もそれを女に差し出せない。香を薫き染めた紙の風合いは、とても風流である。ずいぶんきまりの悪い事態になったので、男は局を立ち去り、「自分が出て来た彼女の閨でも、今こんなことが起きていたりして」などと思いやられるのも、また風情であろう。
付記
ちょうど今ぐらいの季節の話。
高校の古文の授業でも、こういうのを教材にしたほうが、古文嫌いが減るのでは。事あるごとに涙で枕が浮くほど泣く『源氏物語』とか、女性の苦悩を赤裸々につづる『蜻蛉日記』とかも悪くないが、私はやはり『枕草子』が平安トレンディな感じでかっこいいと思う。
この段に出てくる男女は、たぶん元カレと元カノ。それにしても、平安時代はずいぶん開けっぴろげだったんだなぁと思う。だって、これ、宮中の女官の局の話だよ。
※原文テクスト: 「『枕草子』(三巻本)」