もういい。本当にもういい。野党には何も期待しない。

財務官僚がセクハラしたから財務相は辞任しろ、要求が呑めないなら国会審議拒否する、だと? いいよ、もう、来なくて。勝手に黒服でも来てプラカードでも持って議事堂の外で騒いでいればよい。

この1年余りの野党の劣化傾向はそれ以前に比べてもかなりひどいものだったが、ここへ来て完全にただの馬鹿集団となった。かつてこれほどまでに非自民党勢力がゴミばかりという状況はあっただろうか。

これからは自民党内で左派から右派までの政策グループ同士が議論を戦わせ、政治を動かしていけばいい。野党所属で真に志と能力のある人は、自民党に入党し自民党内の政策議論を活発化させるよう尽力してはいかがか。

野党は、もういい。本当にもういい。どうでもいい。

抗議文はテレ朝[テレビ朝日]の篠塚浩報道局長名で、同省[財務省]の矢野康治官房長宛て。「女性社員は精神的に大きなショックを受けている」と説明し、セクハラ行為を「到底看過できるものではありません」と訴えた。

1年看過してきたくせに「到底看過できるものではありません」とか、今さら何を言っているのでしょうかね。加害者側のくせに被害者ヅラする卑劣な奴らですね、こいつら。

私が件の女性記者の立場だったら、これでますます自社への不信感を募らせると思いますよ。

また「セクハラ行為は正常な取材活動による国民への的確な情報提供を目的とする報道機関全体にとっても由々しきこと」と指摘している。
[同]

自社の記者に対するセクハラを自分たちでもみ消していたくせに「セクハラ行為は正常な取材活動による国民への的確な情報提供を目的とする報道機関全体にとっても由々しきこと」とか、今さら何を言っているのでしょうかね。報道機関の風上にも置けない卑劣な奴らですね、こいつら。

テレ朝はさっさと電波を返上しなさい。

ところで、テレ朝は本件の関係者の個人情報を固く守るとか言っていたものの、民進党の記者会見でアホなフリー記者がポロッと女性記者の名前を出してくれちゃったり、内幸町のウソコたんが女性記者の上司のことをペラペラとツイートしてくれちゃったりしているのですが、どうするつもりですかね。

「うちの女性記者が、財務官僚からセクハラを受けていたと、上司に報告してきました。上司は、いろいろとめんどくさいのでそのまま放置していました。業を煮やした女性記者がそのネタを持ち込んだ先の新潮さんは、それをサクッと記事にしてしまいました。財務省め、よくもうちの女性記者にセクハラしやがったな。抗議するぞ」─。

テレビ朝日よ、君らは馬鹿なのか。自分で言っていて恥ずかしくないのか。

もし『週刊新潮』がこのネタを拾わなかったら、テレ朝は何もしていなかったであろう。どの口で偉そうなことを言っているのか。

自社の女性記者が担当の取材対象からセクハラされていると訴えてきているのだから、配置替えをするなり、あまりにひどいようならその時点で先方に抗議するなり、上司や社の側で打つべき手はあったはずである。そうして自社の社員を守る措置もとらず、財務官僚に忖度してセクハラをもみ消してきたというのだから、驚きあきれるばかりだ。

前々から報道メディアはどこかおかしいという気がしていたが、この1年余りは特にひどくなってきている。そして今日はついにこれだ。

テレ朝は、社員がセクハラ被害を受けているのを放置するような体質であるのに加え、報道機関としての役割を全く放棄していることを、自ら誇らしげに明かした。テレ朝は本日未明、終焉を迎えた。電波を発する資格をすみやかに返上すべきであるが、どうしても継続したければ、これからは「ドラえもん」と「クレヨンしんちゃん」をひたすら再放送するだけにしておけ。

テクスト: 中山七里『切り裂きジャックの告白 刑事犬養隼人』 東京、KADOKAWA、2014年。初刊は同社、2013年。

〔2018年4月12日(木)読了〕

中山七里氏の作品は、とてもおもしろかったりとてもつまらなかったりするが、本書は間違いなく前者であった。

東京都内の警察署の真ん前で、臓器のほとんどを摘出された若い女性の死体が発見される。程なくして某テレビ局に「ジャック」を名乗る者からの犯行声明文が送りつけられ、さらに第2、第3の犯行が行われ──。

ジャックという猟奇殺人犯は何者なのか、皆目分からない中、捜査は意外な展開を見せてゆく。

単なる連続殺人事件謎解きミステリーではない。物語にやがて臓器移植をめぐる論争が絡んできて、そこにかなりのページ数が使われることで、本書は俄然として社会派小説の色を強く帯びてくる。

人によってドナーカードを持つ意味合いは千差万別だ。カードに署名する手間しかいらないので献血よりもお手軽になっている。それなのに[臓器移植コーディネーターは]カードの存在を盾に分かりもしない本人の気持ちを勝手に代弁し、自分たちの都合のいい方向に持っていこうとしているではないか。
[228頁。ただし部分強調は筆者による]

そうなのだ。ドナーカード所持者は実のところ、脳死という重要な事柄についてきちんと自分や家族に引き当てて考えることもしていないくせに、「いのちへの優しさと思いやり」とかいう安っぽい宣伝文句に乗せられて、献血よりも軽い気持ちでカードに署名して持ち歩きイイヒトになったつもりでいるだけの、頭の空っぽな者が少なくないのではあるまいか。もちろん、じっくりと熟慮した上でドナーカードを持っているのなら、それはそれでかまわないが。

ジャックの事件は、恐らく誰も予想のつかなかったであろう形で幕を閉じる。ミステリーとして実に上出来だ。そしてさらに、脳死と臓器移植という問題を改めて読者に投げかける形で、本作は終わる。読む前はちょっと軽く見えたが、読み終えてみればズシリと重い一冊であった。

自衛隊がイラクに派遣された際の日報を、実際に読んでみた人たちが──

このようなイラク日報を、築地の紙が記事に仕立てあげると、そう、ああいうふうな感じになるらしいです。