辺野古沖船転覆事故に関するオールドメディアの報道が相変わらず欠乏していますが、幸いなことに今の時代の私たちにはネットというものがあります。

本来こういった事柄を取材して広く人々に知らしめるのは、報道の仕事です。今、辺野古の件に関しては、報道が報道の仕事をしていません。

報道の情報が薄すぎる一方、SNSでは細切れに重要な情報がしっかり出回り、こうして新たな事実が少しずつ出てくるに従って、ひたすら不気味な静けさを保つオールドメディアに人々は着実に不信感を強めるに決まっています。新聞やテレビの人間たちは危機感がなさすぎます。

そして──あのカツドーカどもは、沖縄2紙さえ手なずけておけば、好きなように事実を歪曲して小説を創作することができると思っていたのでしょう。ネットで騒いでいる奴らなんか放っておけばいい、どうせすぐに風化する、と思っていたのでしょう。残念でしたね、風化するどころかむしろますます盛り上がっていますよ。カツドーカどもの実態なんかバレバレですってば。あの小汚い老人たちは昭和の感覚から抜けきれていないようです。

辺野古沖船転覆事故の被害補償に関することです。

16日の一部報道で、同協議会[ヘリ基地反対協議会]の共同代表が「2隻とも保険に入っているが、補償が十分できるとは思っていない」と取材に発言したとされたことについては、17日に同協議会の公式サイトで釈明した。そこでは、「発言の真意について誤認を生じさせる内容」だったとし、「保険(の支払い)だけで補償が十分できるとは思っていない。協議会の財産などからも補填して、誠実に対応していく必要がある」というのが真意だと説明した。

揚げ足取り的な報道をされたことはちょっとした災難ではありますが、まあ、カツドーカ方面がふだんからやっていることがそのまま自分たちの身に返ってきただけという感じですので、ちっともかわいそうだとは思いません。

さて、補償の件ですけれども、「保険(の支払い)だけで補償が十分できるとは思っていない。協議会の財産などからも補填して、誠実に対応していく必要がある」とか口先では言っているものの、実際はさっさとあのキジルシじみた従前通りのコーギカツドーを再開して経費を浪費しているようですが、それでいいのですかね。まあ、社会常識のかけらもないセーギノミカタどもに言っても分からないと思いますが。

辺野古沖船転覆事故については私が常々言っている通り、一部を除くオールドメディアでは「報道しない自由」を行使し続けているため、紙や電波から得られる情報が極めて薄くかつ偏っている状態が続いています。辺野古のカツドーカどもやその周りがいかに胸糞悪くなる連中かということは、まるで記事になりません。

ネットを使わない層、あるいは使っていてもニュース源にしていない層の人たちは、この事故の様相を知らないし、カツドーカ周りの実態も知らないことでしょう。ネットのない時代だったら国民の大多数がだまされていたおそれがありますし、実際そうだったのだと思います。

そして──今日もオールドメディアは京都男児遺体遺棄事件に絡むスピンオフの野次馬記事をせっせと流しています。馬鹿なのでしょうか。

辺野古のカツドーカどもは人でなしと言っても過言ではないどころか、むしろ言い足りないほどです。事故の遺族のもとへ謝りにこようともしないらしいですよ。

一方、日記で記した数日間に登場しない方達がいます。
書きたくても書ける内容が無い人たちです。

平和丸の船長、乗組員、ヘリ基地反対協議会その他の関係責任者達

沖縄にいる間、知華や私たちへ対面しての直接の謝罪、面会可否の問い合わせ、託された手紙、弔電、何ひとつありませんでした。学校、ツアー会社、中城海上保安部のいずれのルートでも問い合わせがなかったことを確認しています。

私はこれを、どう理解すれば良いのでしょうか。

「事故後からの流れ 3月19・20日」(4月17日) << 「辺野古ボート転覆事故遺族メモ」]

まあ、そうでしょうね。カツドーカどもに社会常識なんてものはかけらもありませんから。幼稚園児の頃に夢中になっていた戦隊ヒーローごっこのまま高齢まで無駄に生きてきて、自分たちはあくまでもショッカーと戦うかっこいい仮面ライダーであり、市民になじられて頭を下げさせられる筋合いなどないというセーギノミカタ根性が骨の髄まで染み付いている奴らですし。

ところで、大事故や大事件の際の報道の様子を思い出してみてほしいのですが、上記記事のような事柄は普通、メディアが取材して報道するものです。夜のニュース番組なら「今日の特集」とかの扱いです。ところが、このたびの辺野古の件においてオールドメディアはほぼそろって「報道しない自由」を行使し続けており、遺族が自ら情報発信をしたあとにようやく渋々それに追随してコタツ記事を出しているありさまです。この国のジャーナリズムはもう腐っています。

ほんの30年ほど前の、ネットのない時代のままだったら──この事故にまつわることはまるで事実と異なる様相でニュースにされていたでしょう。恐らく〈修学旅行の高校生たちが辺野古工事に抗議する意思を持って乗り込んだ活動家の船が、全く予見不可能だった大波に呑まれて転覆し、海上保安庁が意図的に救助を遅らせたため高校生1名が不幸にも亡くなった。海保が悪い、国が悪い、アメリカ軍が悪い〉というあからさまな歪曲報道がされていたでしょうね。そう考えると恐ろしくなってきます。あまり表沙汰になっていないだけで実際そういう事例はいくつもあったのでは。今はネットのある時代で本当によかったと思います。

また、アチラ方面の連中はこんなことをほざいています:

すでに分かっている事実と全く異なることばかり言っていますね。

辺野古沖船転覆事故については、日々情報が追加更新されている(ただしオールドメディアではほとんど報じられない)が、聞けば聞くほどにカツドーカどもや学校側への不信が増すばかりである。特にカツドーカどもに対しては日増しに嫌悪が強まり、もはや彼らは人の皮をかぶったナニカではないのかという思いさえしてくる。

なぜ辺野古のカツドーカどもはあんなふうに、まるで人の心を持っているとは思えないような言動を平気でさらすのか、私には全く理解できないのだが、ここ数日で少し見えてきた部分がある。どうも彼らはこのたびの事故を、本気で、〈自然災害〉か何かだと思っているようなのだ。すなわち、高校生の死傷者のみならず、船長や乗組員を含めた自分たちもまた〈被害者〉だと考えているようなのである。

たとえば、大雪注意報の出ている日に、ワゴン車タイプの白タクが定員いっぱいの客を乗せて出発したとする。その白タクの車両はふだん右翼の街宣車として酷使しているためボロボロで、車検は通しているものの日常点検などやっていない。タイヤは夏タイヤのままで、しかも溝がかなり浅くなっている。そんなワゴン車に客を乗せて、すでに雪がちらついている中を出発だ。そんな危ない車で高速道路に上がってみたら、大雪の区間があるから冬タイヤを装着するように注意喚起が電光掲示板でなされているが、そんなものは無視し、制限速度も超過して高速道路をひた走る。すると、ある地点から雪が急激に激しくなり、路面状態もいきなり悪くなって、これはまずいのではないかと思う間もなく、車は派手にスリップして事故を起こし、客の1人が死亡する悲劇となった。

この場合、第一には運転手に事故の責任があるということは、誰でも常識的に分かるであろうし、運転手の責任については教習所で教わるところだ。しかしながら、辺野古のカツドーカどもの場合はこれを「雪のせい」と言い張っているようなものである。有り体に言って全く社会常識がない。

カツドーカどもはさらに「大雪注意報は出ていたが、出発の時点で雪はちらつく程度だったから、あんなにひどい大雪になるとは予見できなかったし、無謀なドライブを始めたわけではない」「冬タイヤ規制の注意喚起はあくまでも注意喚起にすぎず、検問があってそれを突破したりしたわけではない。ちゃんと検問していなかった警察が悪い」などなど、耳を疑うようなことばかり抜かすのである。そして、やはりと言うべきか「我々の活動を邪魔に思っている勢力が、今回の事故を政治的に利用しようとしている。我々はこの苦難を乗り越えて活動を続けていかねばならない」というような趣旨でいよいよ結束を固めており、仲間内からまともな批判の声が上がらないという、まるでカルトそのものの姿を呈している。

とにかくカツドーカどもには社会常識がない。足りないのではなく、全くない。社会常識が全くないから、一般の人々とは全く話が通じない。カルトだからしょうがない。事故当日の夜、記者会見を開いた彼らは、薄汚れた格好で現れて、ほとんどは会釈程度にしか頭を下げず、中には会釈程度にも頭を下げない者もおり、椅子にふんぞり返って腕組みをしたりしていて、ネットでは大いに非難された。が、彼らはなぜ自分たちが叩かれているのか、恐らく本当に理解していない。そう、「我々の活動を邪魔に思っている勢力が、今回の事故を政治的に利用しようとしている」というのが彼らの発想であるから、自分たちは〈事故を起こして高校生を死なせた当事者側〉ではなく〈政治信条ゆえに誹謗中傷され弾圧されている被害者〉だと思っているのであろう。

百歩譲って、カツドーカどもはスーツなどとは全く無縁の人生を生きてきたから、そんなパリッとした服装の持ち合わせはないのだとしよう。しかしそれでも、せめてあの薄汚れた身なりではなく少しでもきれいな衣服に着替え、腕に喪章を付け、腰を90度折って頭を10秒間下げる程度のことはできるはずだ。それができない、あるいはやらない、もしくはやりたくないのは、やはり最低限の社会常識すらわきまえていないからであろう。

常にセーギの旗を掲げて、意に背く者たちを攻撃して生きることしか知らなかった、独善かつ無謬主義のカツドーカどもの、それが末路のようだ。