辺野古沖船転覆事故については、日々情報が追加更新されている(ただしオールドメディアではほとんど報じられない)が、聞けば聞くほどにカツドーカどもや学校側への不信が増すばかりである。特にカツドーカどもに対しては日増しに嫌悪が強まり、もはや彼らは人の皮をかぶったナニカではないのかという思いさえしてくる。

なぜ辺野古のカツドーカどもはあんなふうに、まるで人の心を持っているとは思えないような言動を平気でさらすのか、私には全く理解できないのだが、ここ数日で少し見えてきた部分がある。どうも彼らはこのたびの事故を、本気で、〈自然災害〉か何かだと思っているようなのだ。すなわち、高校生の死傷者のみならず、船長や乗組員を含めた自分たちもまた〈被害者〉だと考えているようなのである。

たとえば、大雪注意報の出ている日に、ワゴン車タイプの白タクが定員いっぱいの客を乗せて出発したとする。その白タクの車両はふだん右翼の街宣車として酷使しているためボロボロで、車検は通しているものの日常点検などやっていない。タイヤは夏タイヤのままで、しかも溝がかなり浅くなっている。そんなワゴン車に客を乗せて、すでに雪がちらついている中を出発だ。そんな危ない車で高速道路に上がってみたら、大雪の区間があるから冬タイヤを装着するように注意喚起が電光掲示板でなされているが、そんなものは無視し、制限速度も超過して高速道路をひた走る。すると、ある地点から雪が急激に激しくなり、路面状態もいきなり悪くなって、これはまずいのではないかと思う間もなく、車は派手にスリップして事故を起こし、客の1人が死亡する悲劇となった。

この場合、第一には運転手に事故の責任があるということは、誰でも常識的に分かるであろうし、運転手の責任については教習所で教わるところだ。しかしながら、辺野古のカツドーカどもの場合はこれを「雪のせい」と言い張っているようなものである。有り体に言って全く社会常識がない。

カツドーカどもはさらに「大雪注意報は出ていたが、出発の時点で雪はちらつく程度だったから、あんなにひどい大雪になるとは予見できなかったし、無謀なドライブを始めたわけではない」「冬タイヤ規制の注意喚起はあくまでも注意喚起にすぎず、検問があってそれを突破したりしたわけではない。ちゃんと検問していなかった警察が悪い」などなど、耳を疑うようなことばかり抜かすのである。そして、やはりと言うべきか「我々の活動を邪魔に思っている勢力が、今回の事故を政治的に利用しようとしている。我々はこの苦難を乗り越えて活動を続けていかねばならない」というような趣旨でいよいよ結束を固めており、仲間内からまともな批判の声が上がらないという、まるでカルトそのものの姿を呈している。

とにかくカツドーカどもには社会常識がない。足りないのではなく、全くない。社会常識が全くないから、一般の人々とは全く話が通じない。カルトだからしょうがない。事故当日の夜、記者会見を開いた彼らは、薄汚れた格好で現れて、ほとんどは会釈程度にしか頭を下げず、中には会釈程度にも頭を下げない者もおり、椅子にふんぞり返って腕組みをしたりしていて、ネットでは大いに非難された。が、彼らはなぜ自分たちが叩かれているのか、恐らく本当に理解していない。そう、「我々の活動を邪魔に思っている勢力が、今回の事故を政治的に利用しようとしている」というのが彼らの発想であるから、自分たちは〈事故を起こして高校生を死なせた当事者側〉ではなく〈政治信条ゆえに誹謗中傷され弾圧されている被害者〉だと思っているのであろう。

百歩譲って、カツドーカどもはスーツなどとは全く無縁の人生を生きてきたから、そんなパリッとした服装の持ち合わせはないのだとしよう。しかしそれでも、せめてあの薄汚れた身なりではなく少しでもきれいな衣服に着替え、腕に喪章を付け、腰を90度折って頭を10秒間下げる程度のことはできるはずだ。それができない、あるいはやらない、もしくはやりたくないのは、やはり最低限の社会常識すらわきまえていないからであろう。

常にセーギの旗を掲げて、意に背く者たちを攻撃して生きることしか知らなかった、独善かつ無謬主義のカツドーカどもの、それが末路のようだ。