先日の記事で言及した、今アメリカで社会現象になっているドラマ「SHOGUN 将軍」について、ポリコレ屋らしき人が、この作品に黒人が登場しないのはけしからんなどと言い出しています。いえいえ、私は冗談を飛ばしているのでも話を大げさにしているのでもなく、本当にそんなことを主張している人がいるのです。本当ですってば。

歴史をここまで歪曲するなんて、K国人もびっくりという感じではないでしょうか。

「黒人たちはどこにいるのか」 (“Where are the Black people?”) なんていう意表を突いた問題提起()に対しては、当然ながら英語圏でも「アフリカにいるよ」とツッコミが入っています。記事を読み進めるほどに馬鹿馬鹿しくてだんだん苦痛になってきましたが、とりあえずひと通り読んだのでちょいちょい抜き出してみますね。

(1)
There's a Japanese proverb that says for a Samurai to be brave, he must have a bit of Black blood. If that's the case, FX's monster hit 'Shogun' has a lot of scared swordsmen
[Ibid.]
日本のことわざに、侍が勇敢であるためには少しの黒人の血が入っていなければならない、という。もしそうならば、FXの大ヒット「SHOGUN」に出てくるのはたくさんの怯えた剣士たちだ。
(2)
According to multiple sources, one of the early real-life Shoguns, Sakanoue no Tamuramaro (758–811), was Black, though denied by others. There is a consensus he was something other than pure Japanese, and he is often considered descended from the Ainu, the darker-skinned indigenous people of northern Japan who were subjected to forced assimilation and colonization.
[Ibid.]
複数の情報源によると、早い時代に実在した将軍の一人、坂上田村麻呂(758–811)は、ほかでは否定されているが、黒人であった。彼は純粋な日本人ではなかったというのが通説であり、彼はしばしば、強制的な同化と植民地化に従わされる以前の北日本の浅黒い肌を持つ先住民すなわちアイヌの、末裔であるとみなされている。
(3)
Many researchers have documented the suggestion of and existence of Africans in Japan, one dating back 22,000 years, near Osaka, where much of the Shogun series took place.
[Ibid.]
多くの研究者が、日本におけるアフリカ人の連想と存在を文書化していて、中には2万2千年前にさかのぼるもの、大阪の近くのものがあり、その大阪は「SHOGUN」シリーズの主な舞台となる地である。
(4)
Whether or not Sakanoue no Tamuramaro was Black won't be resolved here, but the existence of Black people in Japan in the period Shogun depicts is not in doubt. Black slaves and crew members accompanied the Dutch, Spanish, Portuguese, and French ships.
[Ibid.]
坂上田村麻呂が黒人であったか否かはここでは解決されないだろうが、しかし「SHOGUN」に描かれる時代の日本に黒人が存在したことは疑いがない。黒人の奴隷や船乗りが、オランダ、スペイン、ポルトガル、フランスの船の航海に付き従っていた。

まず (1) について。私は長らく日本で日本人をやっていて、日常生活に困らない程度の日本語は一応解しますが、書かれているところの「侍が勇敢であるためには少しの黒人の血が入っていなければならない」 (“for a Samurai to be brave, he must have a bit of Black blood”) ということわざは寡聞にして知りません。知っているという方がいましたら、ぜひ教えてください。

(2) と (3) は、少数説にすぎないものを「通説」 (“consensus”) と言ってみせたり、まともに相手にされていないトンデモ異説を「複数の情報源」 (“multiple sources”) によるものだと言い換えたりしているだけのものですから、どうでもいいです。たぶんせっせとネットでググって細かいネタを探してきたのでしょう。

(4) は一応、事実ではあります。1600年当時の日本には、イエズス会士や貿易商が連れてきた黒人の奴隷などがいました。少し前の時代に織田信長が取り立てた弥助という黒人家臣の話は有名です。とはいえ、石を投げれば当たるほど黒人がわんさかいたというわけではありません。1600年の日本には黒人がいたぞなんて言い出したら、それこそ現代の日本には当時に比べたらたくさんの黒人がいるので、日本を舞台にした映画やドラマのすべてには必ず黒人を登場させなければならないことになりますわな。アホか。

まあ、ポリコレ屋の連中の言うことをいちいち聞いていたら、そのうち、タヨーセー屋もしゃしゃり出てきて『リトル・マーメイド』のノリで虎永を黒人にしろとか、さらに鞠子をトランスジェンダーにしろとか、いろいろ話がおかしくなってきそうですね。無視しておくのがいいでしょう。

総務省がLINEに激オコです。かなりブチキレています。実際に読んでみると、想像以上にLINEのセキュリティはひどいです。

確か日本の総人口の8割ぐらいがLINEのユーザのはずですが、となると日本人の8割の通信や個人情報がガバガバになっているということになります。

はっきりいって私はLINEというアプリをつぶしたほうがいいと思いますよ。単なる通信ツールではなく、今やあれこれと付きすぎていますから、その状態でセキュリティが穴だらけ(しかも総務省が3回も激オコしているのに直す気がないし直せない)というのはかなりまずいです。いささか面倒なことにはなりますが、プラスメッセージやMessengerなど代替アプリへの乗り換えをみんな真面目に検討すべきでしょう。

近ごろの共産党はすっかりファシズム性を隠さなくなって堂々たるものなので、私はこの話を聞いても特に驚きませんでしたし、むしろ笑えてきました。

とにかく共産党は、党外からの批判なんかどうでもいいという旨を田村が先日公言していたことからも分かる通り、極めて内向きの体質を持ち、独裁主義と恐怖政治指向の本性をあらわにし、少数精鋭の仲間内のセーギで社会を支配してやろうといっそう先鋭化してきています。『しんぶん赤旗』も要するに〈マスコミはすべて反共に毒されていて信用できないから『赤旗』しか読まない〉というような熱狂的支持者たちだけを相手にしている、狭い世界の読み物という性格が強いでしょう。当然、反論なんか載せるわけがありません。

ええ、基本的には、政党機関紙なのだから政党の主張を一方的に載せるのもいいですよ。『赤旗』が要求されているように反論を掲載する義務などありません。しかしそうはいっても、かつて自分たちは他紙での他政党の意見広告(有料)に対する反論意見広告を無料で掲載することを要求し、訴訟まで起こしたくせに(もちろん負けましたけど)、何をほざいているのでしょうかね、このスッパマンめが。一応言っておきますが、放送法の規制を受けるテレビ等と違い、一般新聞は必ずしも政治的に不偏不党である必要はないので、一般新聞と政党機関紙は違うという小池の屁理屈は全く通りません。

こんな政党が力を持ってしまったらどうなるか、まかり間違って政権を取ったりしたらどうなるか、想像するのは難しくありませんよね。政権批判を掲載した新聞には、政権側の反論を掲載するよう命令したりするのでしょう。いや、それで済めばいいですけど、そんな社は取りつぶされることになるでしょうな。何といったってあの政党は、弱小勢力の今ですら、自分たちの気に入らない〈けしからん表現〉に対してはさっさと抑圧しにかかって国民の生命と財産を脅かす集団ですからね。

滅べ。一秒も早く。

先月末から配信されているFXのドラマ「SHOGUN 将軍」がアメリカで爆発的な人気と高評価を得ているようでして、もうエミー賞を取りまくるのは間違いないと言われています。私はHulu等のサービスに加入していないので見ていませんが、YouTubeで断片的に公開されている公式動画クリップや、ファンのリアクション動画などを見るだけでも、いろいろな面で極めて質の高い作品であることはよく分かります。

私が見た「SHOGUN 将軍」の動画クリップの中でも特に、完璧にしつらえられたセットで、出演者すべてが完璧な演技を見せ、完璧な映像が撮れているという、見事な場面がこちら:

実はこれは、私が小学生の頃にテレビでみた1980年版の中で印象に残っている場面の一つでもあります。

見比べてみると、明らかに今回2024年版のほうがはるかに出来がいいといえるでしょう。鞠子の立場は '80年版では単純に〈中立的〉であったところ、今回ははっきり〈ポルトガル寄り〉から始まっていて、それゆえの心の揺れなども生々しい感じです。

YouTubeムービー&TVで有料配信してくれたらすべて見るのですがねぇ。ディズニー系だからやってくれませんよね。

昨夜のNHK大河ドラマ「光る君へ」第10回「月夜の陰謀」では、そのタイトルの通り寛和の変が描かれました。しかし、寛和の変は作中で言及されていた通り6月23日未明の出来事であり(一応私も確認しました)、そして旧暦では23日の月は作中で見られた通り下弦の半月ですから「月夜」という表現はやや違うのでは、と思いつつよく考えてみたら、藤原道長とまひろ(紫式部)の逢引が満月の夜(6月15日ごろ)のことでしたので、そちらを指して「月夜の陰謀」ともいえますね。本作の各回のタイトルはこんな感じで、裏の意味が隠されていることが多いです。

以前に道長から和歌を贈られた時は、返歌しないというとんでもなく非常識な対応をしたまひろでしたが、今回はちゃんと返していました。ただし、和歌を贈られたのに対して漢詩を返すという、かなり変則的なやり方で。作中でも、藤原行成が道長の相談を受けて「それはずいぶんと珍しきことでございますね」と言っていましたね。そして、そこにどういう意味があるのかについて行成が私見を示してくれましたが、おかげで私もなるほどと思いました。つくづく、本作の脚本は技がありすぎて恐ろしいほどに見事です。

漢詩のことはよく分からないのでさておき、とりあえず道長が贈った和歌3首については画面を止めて読み取りました。いずれも『古今和歌集』所収で、1首目は覚えがあったのですぐ見当がつきましたが、2首目と3首目は知らないものだったためググったりしつつ苦労して判読しました。

思ふには忍ぶることぞ負けにける色には出でじと思ひしものを
[読人しらず]
死ぬる命生きもやすると心みに玉の緒ばかり逢はんといはなん
[藤原興風]
命やは何ぞは露のあだものを逢ふにしかへば惜しからなくに
[紀友則]

ちなみに、作中での道長による和歌の筆はすべてひらがなで、1カ所だけカタカナでした。ひらがなといっても変体仮名混じりのくずし字ですから、ヒントなしで見たら分からない状態です。まひろの漢詩は楷書なのでそのまま読もうと思えば読めますが。

ちょっと私も真面目に変体仮名を覚えようかという気になってきました。アメリカでは筆記体を教わっていない若い世代が古文書を読めなかったりするため、このごろ筆記体の授業を復活させたらしいですが、日本もある意味それと同じような対策をしたほうがいいのでは。

さて、道長がまひろを連れて駆け落ちしようという〈月夜の陰謀〉は、まひろが冷静だったために成らなかったものの、もう一つの〈月夜の陰謀〉すなわち花山天皇を出家させるという藤原兼家の計画は史実の通り成功しました。陰謀関係者以外の誰にも知られないようにしつつ、一夜にして天皇を退位・出家させるなんていう荒技、よく思いついたものですわ。本当に史実なのかという疑いすら抱いてしまいます。