共同通信がまた馬鹿をやっています。近ごろ何かにつけて馬鹿だ馬鹿だと言いすぎているのはあまりよろしくないと自覚してはいるのですが、馬鹿だとしか言いようがないのだから馬鹿と言うしかありません。

週に一度はパンダを見ないと体調を崩してしまうという奇特な体質の持ち主でない限り、パンダのことなんか大方の人はもう忘れていると思いますが、共同はわざわざ「ゼロパンダ」とかいうアレな新語を創造してまで問題を捻出し焚き付けようとしているのですから、馬鹿としか言いようがありません。パンダがいなくなって困っている人なんていないでしょうに、なぜわざわざ無理やり蒸し返そうとするのですかね。

あるいは、共同と協力関係にある新華社が何か工作をしかけてきたのでしょうか。いえいえ、あくまでも私の勝手な想像ですよ、勝手な想像。

いわゆる「中傷動画」騒動をめぐり22日、高市総理の秘書の陳述書が国会に提出されました。

野党どもの反応は予想通りで「説明が不十分」「疑惑は深まった」─。あいつらは本当にただの馬鹿ですわ。

そもそも疑惑の大元のネタである中傷動画とやらそのものの存在が確認されていないのに、野党どもはいつまでこれをやるつもりでしょうか。相変わらず総理秘書の国会招致を求めるだのとほざいているみたいですが、どうしてもやるというならむしろ業者の側の証人喚問ではないのですか。まあ、業者の側に出てこられて余計なことを国会でしゃべられると、野党どものほうが困るのでしょうけど。

今年は気象庁が「酷暑日」を定義した元年となりますが、今のところ当地埼玉では酷暑に迫る猛暑は続くものの酷暑は記録していないようです。もしかしたら今日あたり、熊谷とか鳩山とかで達成しちゃうかもしれませんが。

在宅時は、室内はエアコンをかけるとして、廊下の風通しを良くするために階段の窓を開けておこう、と思いきや光化学スモッグ注意報が出たりするので、困ります。先年、PM2.5でひどい目に遭ったものですから、大気の状況にはちょっと注意するようにしています。

そうそう、光化学スモッグ注意報は埼玉県がメールで教えてくれるサービスがあります。たぶん他の都道府県でも同じようなのがあるのではないでしょうか。

あと、意外に知られていませんが、「Googleマップ」のスマホアプリでも大気汚染情報を確認できます。地図の右下に気温といっしょに出る「AQI」(大気質指数)というやつです。これが青や緑なら正常、黄色が注意報、オレンジや赤だと警報です。

といったところで、みなさまご自愛を。

昨日書いた「北ウイング」の絡みで、1980年代の成田空港の様子を写した動画がないかと探してみましたら、公開している方がいました。

動画内の字幕で解説されていることは誇張ではありません。本当に、あの頃の成田は最悪の空港でした。最低最悪でした。まあ、オフシーズンはそれなりにすいていましたが。

とにかく疲れる空港でして、海外旅行で必要なエネルギーの3分の1が成田の出発ロビーで費やされたと言っても決して過言ではありません。ヘトヘトになってようやく搭乗した時はホッとしましたね。

動画内でも解説されている通り、とにかく座れる場所があまりなかったのです。利用客でごった返しているのにベンチは駅のホームより少なく、チェックインカウンターが開く前はスーツケースを椅子代わりにしたりして待つことができましたが、チェックインでスーツケースを預けたあとは座る場所に困りました。飲食店にでも入ろうかと思っても、みんな考えることは同じなので店は満席、場合によっては入り口に列を作っています。仕方なくブラブラ歩いて回って時間をつぶすしかありません。若かったから何とかなったものの、今の体ではとても耐えられませんな。

もっとも、ビジネス客や団体旅行客はそんな目に遭わなくて済んだと思います。そういう人たちは東京シティエアターミナルなどで先行チェックインができ(テロ対策のため今は廃止)、リムジンバスで出発ロビーに横付けして、まっすぐ出国審査に向かえばよかったのですから。私みたいな格安チケットの客はそうはいきません。空港に着いてから代理店カウンターで発券を受けて、チェックインカウンターで手続きをしなければならなかったのです(動画内の解説の通り)。

そして、最近の成田空港第1ターミナル──

電車を降りてから6分余りで出発ロビーにたどり着けるなんて、1980年代のあのワチャワチャからは想像もつかないことです。

近ごろ久しぶりにテレビに出演して歌ったことが話題の中森明菜だが、私が彼女の名前を聞くたび瞬時に連想するのは、往年のヒット曲の一つ「北ウイング」(1984)である。私は彼女のファンだったことはないし、その曲が特に好きということもないのだが、長きにわたりそれが心に引っかかかり続けている。

なぜ「北ウイング」が私にとっていささか特別なのかというと、実は、私はいまだに北ウイング発着の便を利用したことがないからである。

「北ウイング」とは、どこの北ウイングかは歌詞で明示されていないが、成田国際空港(当時の正式名称は新東京国際空港)の北ウイングであるのは明らかだ。というのも、当時日本で「ウイング」と称する構造物を有する空港は成田だけだった。当時の成田は、南ウイング、北ウイング、そして中央ビルから成る、単一のターミナル(現在の第1ターミナル)しかなく、そのターミナルも今に比べるとかなり規模が小さかった。南北ウイングとも現在は保安検査場になっている辺りがドカンと広く吹き抜けになっていて、その向こうは全面ガラス張りの先に遠く滑走路が見やられた(「男女7人夏物語」のラストシーンのあの場所だ)のだから、何ともぜいたくな造りだった。

1980年代後半の記憶を掘り返してみると、北ウイングのカウンターの半分は日本航空が占有していて(国際線を飛ばしていた日系航空会社は '85年までは日本航空のみだった)、残りは主にヨーロッパ系の一部などに割り当てられていた。その他のアジア系、北米系などの航空会社は、南ウイングを使用していた。

つまり、南ウイングと北ウイングとでは、単に航空会社や行き先が違うというだけでなく、客層が異なっていたのである。はっきり言って北ウイングは私には縁のない場所だった。

中森明菜「北ウイング」の歌詞には「ミッドナイトフライト」「あなたが住む霧の街」という言葉が出てくることから、題材となる便は北ウイングから夜に出発するロンドン行きということになる。ならば、日本航空かブリティッシュ・エアウェイズの、北回りアンカレッジ経由ロンドン行きと推定される。もし私が当時ヨーロッパへ旅行することがあれば、時間がかかる代わりに安く済む南回り路線、すなわち南ウイングから出るタイ国際航空やキャセイパシフィックなどの乗り継ぎ便にしただろうと思う。そう、南ウイングと北ウイングとでは客層に違いがあった。北ウイングはバックパッカーなどお呼びではなかった。

やがて1990年代に入ると第2ターミナルが供用され、また第1ターミナルに大規模な改修と拡張がなされたので、ターミナルとウイングの配分はガラリと変わった。大まかには航空アライアンス別になっている。しかしそれでもなお、私には北ウイング発着の便に乗る機会がないままである。というのも、私の使用してきた航空会社はいずれも南ウイングか第2ターミナルにカウンターを置いているのだ。

現在、北ウイングを使用している航空会社はスカイチーム加盟社が中心であり、私が乗りそうな会社は一つも見当たらない。強いていえば、もし将来ヨーロッパへ行く機会があるとすれば、エティハド航空のアブダビ乗り継ぎ便を使うかもしれない、という程度だ。どうやら本当に私は北ウイングに縁がなさそうである。

ちなみに、今後私は国内線に乗るときは羽田ではなく成田からのLCCを使うつもりなので(昔と違って今は埼玉南東部からは成田のほうがアクセスがいいのだ)、成田の第3ターミナルには用があるかもしれない。それにしても、相変わらず北ウイングは──。