健康のためにプール通いを始めて半年ほどになる。できることならフィットネス・ジムに通いたいところだが、あれは毎日仕事帰りに立ち寄ってひと泳ぎするのを日課にするぐらいの頻度でなければ元が取れないくらいに高いので、週に1、2回通う程度の私は公営プールである。

週末はやはり混むため、なるべく平日で時間の取れるときに行くようにしているのだが、しかし、平日のプールには一つだけ難点がある。察しの通り、平日の真っ昼間からプールに来られる人といったら年寄りが多い。単に年寄りが多いだけならかまわないのだが、田舎町のことなので、イナカモノの年寄りが多いのである。

イナカモノの年寄りの話ほど低レベルなコミュニケーションはない。あまりにもくだらないので、私は交わる気などまるで起きないのだけれど、ジャグジーで体をほぐしているときなど、周りで彼らがそれこそ銭湯気分でしゃべっている話は聞こえてしまうから困る。

「私のいた職場の部下がね、結婚して何年もたつのに子供ができないんですよ。かわいそうに」─。

先日はこんなことを言う男がいて、私は耳を疑った。「かわいそうに」という日本語がそういう文脈で用いられるものであるとは、それまで想像したこともなかった。

彼はさらにこう続ける:

「それでね、不妊治療を紹介してやりたいんだけど、どこかいい病院は知りませんか?」─。

結局その話は、訊かれた側も不妊治療について詳しいわけではなかったようで、それで終わりになった。

それにしても、当の元部下の方にしてみれば、子供を作るなどというかなりデリケートな件について、元上司に相談したわけでもあるまいに、自分のあずかり知らないところで勝手にそんなふうに不妊治療の話までされるなんて、大きなお世話という以外の何ものでもなかろう。イナカモノ、特に年寄りは、個人を尊重する意識とかデリカシーといったものがなく、人間を身分の上下でしか見ることができず、自分より上の人間に対しては必要以上にヘーコラするくせに下の人間のことは犬か何かのように扱うから、こういうふざけたことを平気でやらかす。

しかし、そういったところを批判しようとするなら、かなり慎重にならなければならない。「元部下のことを心配してやってるだけじゃないか」「別に悪気があるわけじゃない」と逆ギレするのがイナカモノで、そうなると、こちらは〈人の親切な気遣いを悪く言う奴〉ということで一方的に悪者にされる。

これは私が勝手な想像で言っていることではない。それに似た体験を何度もしているから言っているのだ。

「心配してやってるのに」「悪気があるわけじゃない」──これらはイナカモノの常套句で、私はもううんざりしている。彼らは、実際には心配なんかしていないし、悪気があってやっているのだ。本人たちに自覚はないだろうけれど。

さて、私はこれからもプール通いを続けるが、ああいうおかしな会話に交わることなどなく、これまで通りただ黙々と泳いで心身の健康を保つことにしよう。あんな腐った年寄りにはなりたくないから。