ちはやふる髪をも切りつ広瀬すずまだ伸びないに日々括るとは

いや、それ以前の問題として、広瀬すずもほかのキャストもすっかり大人になってしまい、高校生を演ずるには無理が感じられつつある今日このごろ、もはや映画『ちはやふる』続編の実現はあり得ないのではないかという気が。強引にやると、声変わりしたハリー・ポッター以上に悲惨なものにもなりかねません。

あるいは、年齢設定を大学生以上にして翻案するという方法しかないでしょうね。

日本音楽著作権協会(JASRAC)は2日、音楽教室での指導者や生徒の演奏について「公衆の前での演奏」と見なし、著作権料を徴収する方針を明らかにした。

私の所属寺の聞法会機関誌なんかでも、歌謡曲の歌詞の丸書き写しを含む原稿を書く人がたまにいたりするので、そのたびにJASRAC対策として当該箇所を削除させたりしています。ですが、どうも私の話を真剣に聞いてくれない人もいて、まるで私が細かいことにやたら神経質であるかのように笑ったりするんですよね。

いいですか。この機に改めて言いますよ。JASRACをなめてはいけません。あれはヤの付く任意団体みたいな組織ですからね。

「ちょっと歌詞を載せたくらいで、文句を言ってきたりするわけがないだろう」─。いいえ、言ってくる可能性は決して低くありません。そういう組織なのです。

「だけどさ、お寺の聞法会の機関誌だよ。さすがにそんなものから金をせびろうとはしないだろう」─。いいえ、そんな甘えの通用する組織ではありません。むしろお寺絡みとなれば、なおさらたかってくるおそれがあります。

だって、音楽教室での生徒の演奏からも著作権料を取るとか言い出しているくらいです。そういう組織ですよ。

もっとも、さすがに今回のJASRACの言い分には音楽教育関係者もブチキレたようですが。

商業音楽の権利関係はいろいろと複雑なので、著作物の利用にまつわる煩雑な手続きを省くためにも、JASRACのような団体は必要です。音楽著作権侵害にも目を光らせてほしいとは思います。けれども、実際にJASRACがやっていることときたら、本当にヤの付く任意団体と同様どころかまるでチンピラ紛いと思うことも少なくありません。

もちろん、JASRACは特別な法的権限を持った機関でもなんでもありませんので、あまりにも変なことを言ってくるようなら、裁判に持ち込めば彼らを負かすこともできるでしょう。しかし、その訴訟に要する手間暇と経費のことを考えたら、個人や中小規模企業レベルでいちいち彼らと戦うのはあまり得策ではありません。

ということで、お寺関係の方々にもう一度念を押します。JASRACをなめてはいけません。あれはヤの付く任意団体みたいな組織ですからね。

具体的には、JASRAC対策として以下のような事柄を助言しておきます。

  • 寺報などに、みだりに楽曲の歌詞や譜面を載せない。
  • お寺で催した音楽会などでの演奏曲目(みんなで楽しく歌ったというだけのものも含む)を、不用意に寺報などに載せない。

そうそう、よく勘違いしている人がいるのですが、「私はあのミュージシャンとは気心の知れた仲なので、彼の曲をちょっと使うくらいで怒られはしないよ。あとでちゃんと話しておくから」みたいに軽く考えている人。そんなことはありませんよ。そのミュージシャンがJASRACと契約して著作権管理を委託している場合は、著作物利用についての交渉相手はJASRACです。ミュージシャン本人が何と言おうと関係ありません。

村瀬修功監督『虐殺器官』 日本、2017年

〔2017年2月3日(金)鑑賞〕

アメリカ人、ジョン・ポールの赴く先の国々では必ず大量殺戮が起こる。美しく平和だった国が、ジョン・ポールが来て半年後にはかつてのカンボジアのような大量殺戮の現場となる。彼が世界各地の虐殺を煽動していると断定したアメリカ情報軍は、クラヴィス・シェパード大尉ら特殊検索群i分遣隊に彼の暗殺を命ずるが──。

本作は(映画も原作小説も)明らかに生成文法の考え方を下敷きにしているので、先に少しでも生成文法のことを知っておいたほうがよい。

それにしても──ついに、である。そもそもは一昨年秋に公開されることになっていた映画だ。制作会社(当時)の破綻により計画は延期され、伊藤計劃3部作の第1作に位置付けられる作品であるにもかかわらず劇場公開は3番目になってしまった。ようやく漕ぎつけた。

そして、待たされただけの価値はある映像に仕上がっていた。これならはっきりと推奨することができる。ただ、3部作の連続性を考えた場合、本作の結末の改変の仕方には多少の不満がある。第2作『ハーモニー』の時代設定が「ザ・メイルストロム」のあとということになっているのだから、『虐殺器官』のあとにはザ・メイルストロムが起きなければいけないだろうに。

子供特有の、天使のような周波数の高い怒声を発しながら、民兵たちがぼくらのチームを止めようと無駄な努力を費やす。第二次性徴がはじまる前の子供の叫び声は、男も女も区別がつかない。上官と性交中だったのだろうか、まだ乳房もろくに膨らんでいない少女が全裸で廊下に飛び出してきて、その痩せた脇腹にAKを持ち、腰だめで乱射してきた。ぼくは冷静に裸の体に点射する。平らな乳房に立て続けに穴が開き、少女は倒れる。

[伊藤計劃『虐殺器官 〔新版〕』(東京、早川書房、2014年)290頁]

こんな小説はそのまま実写映画化などできないということもあって、アニメ映画化という方法が採られたのだろう。ちなみに、本作における当該シーンでの少女は全裸ではなく、下着姿だった。というふうにいろいろと表現を抑制していながらも、R15+指定がかかっている(劇場用アニメ映画でのR指定は珍しい)。にもかかわらず、何とアメリカで実写映画化が企てられているという話もあるのだが、本当なのか?

推奨度: 90点(/100)

執筆者は立場もあるので「正しさ」などという言葉を使って遠回しな書き方をしていますが、要するに韓国の司法は司法として機能していないということです。道理で毎度毎度まるで話にならないわけですわ。

こんな国を隣国とし続けなければならないとは──。