見出しに釣られて記事を読んでみましたが、本当に「至極当たり前」なことしか書かれていなくて、ある意味がっかりしました。私でも同じような返しをすると思います。

幸いなことにというべきか、私自身は有給休暇を取る場合などに「お前の仕事は誰がするんだ?」などとアホなことを訊いてくる上司の下に付いた経験がありませんが、聞くところによると世間にはそういう無能な中間管理職が少なくないみたいですね。

例えば、当サイトのまさに今私が書いているこの記事も、コンテンツ中に「フリー素材」という文言が含まれるため、「フリー素材」をググれば当サイトがヒットする可能性があります(順位はかなり下位になるでしょうが)。だからといって、当サイトで使われている素材がフリーというわけではありません。

これ、実際にある話なのですよ。ウェブに載せている素材を勝手に使われたクリエイターが訴訟を起こしたら、訴えられた側が「Googleで『フリー素材』を検索したらお前のサイトが出てきたのであって、こちらに非はない」とか返してくる、というふざけた例が。上記記事のように素直にごめんなさいしてくれるとは限りません。

ネットで検索したら、フリー素材だと勝手に思い込まず、本当にそれがフリーかどうか、利用規定などをちゃんと確認しないといけませんよ。ウェブではフリーだけど紙媒体には使うなとか、その逆とか、商用で使うなとか、いろいろ素材屋によって違いますし。

よく分からなかったら「いらすとや」みたいな有名どころを使っておくのが無難でしょう。ちなみに、私がよく使うのは「イラストAC」です。

「警官発砲」から始めていることで分かるように、こういうことが起きるといつも発砲した警察官に瑕疵があるような報道がされるのですよね。日本以外だったら、警察官の制止を無視して逃亡を図れば撃たれても当然です。ましてやこの場合、車という〈動く凶器〉が介在していますし。

なぜ脚を狙わなかったのかなどともっともらしい非難する人もいるみたいですが、ちょっと状況を考えてみれば分かるはずです。車の横から運転席に座っている人物の下半身を狙って撃つことは、まず無理ですよ。

私はたまにアニメというものを見ることはあるし、現に今もリメイク放映中の「うる星やつら」を見ているけれども、決してアニメ好きといえるほどのものではない。特にロボットものとなるとほとんど見たことがない。

しかしながら、そんな私の心にも強烈に印象に残っているロボットもののアニメが、1作品だけある。映画『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』(1984)がそれだ。近年に至るまで多数作られてきている「マクロス」関連作品のうち、最初の劇場版である。

この映画を見たことのない人でも、飯島真理の歌う劇中歌をどこかで聞いたことぐらいはあるだろう。何せ当時は「ザ・ベストテン」にも出たのだ。

飯島真理唄「愛・おぼえていますか」

はっきり言ってしまうが、取り立てて何の変哲もない歌謡曲、至って平凡なラブソングでしかなく、もし映画で使われていなかったら売れなかったのではあるまいか。しかし、そんな〈当たり前のラブソング〉であることが、劇中では大きな意味を持ってくるのである。

さて「マクロス」を語るためには、まずその世界観の説明から必要になるのだけれども、なかなかこれが混み入っているため、極めてざっくりとした話だけしておく。

かつて50万年前に宇宙で繁栄した知的生命体があり、彼らはプロトカルチャーと呼ばれる。プロトカルチャーは遺伝子工学によって、ゼントラーディとメルトランディという巨人種族を作り出す。これらは戦闘用に作られた種族であり、文化というものを持たないように設計されている。

一方、プロトカルチャーは太古の地球の原住生物に遺伝子操作を加えて知的生命体を作り出した。その末裔がわれわれ地球人類である。

戦闘巨人種族のゼントラーディとメルトランディによる代理戦争は拡大の一途をたどり、本来は主であるはずのプロトカルチャーはその戦禍により絶滅してしまう。

50万年の時を経て、戦禍はついに地球に及ぶ。ゼントラーディから〈文化を持つプロトカルチャー、すなわち敵〉とみなされた地球人は攻撃され、わずかな人類が超巨大宇宙船マクロスで脱出する。このマクロスがどのくらい超巨大かというと、内部で数万人の民間人が生活し、さながら都市のような空間を形成しているほどである。

もはや廃墟しかない地球であったが、海底から浮上したプロトカルチャーの都市が発見される。そこに残されていた文字を、ヒロインの早瀬未沙が解読してみれば、それは太古にプロトカルチャーの街に流れていた歌──「愛・おぼえていますか」だった。地球人とゼントラーディの最終決戦のさなか、マクロスに乗るアイドル歌手リン・ミンメイがそれを歌うと、文化を持たないよう設計されているはずのゼントラーディの遺伝子から文化が呼び覚まされるのであった。

『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』より、最終決戦

戦闘ののち、結局あの歌は何だったのかと問われた未沙は、こう答える:「ただの流行歌よ。何万年前も昔に異星人たちの街ではやった、当たり前のラブソング」

『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』より、エンディング

人類を絶滅の危機から救ったのは、アイドル歌手の歌う何の変哲もない「当たり前のラブソング」にすぎなかったのである。特別でも何でもない、平凡な一篇の流行歌だ。

正直、私がこの映画を初めて見た時は、この意味が分からなかった。10代や20代では本当の意味が分からなかった。ようやくその意味が見えてきたのは、40代になってからのような気がする。

やまとうたは、人のこゝろをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。よの中にあるひとことわざしげきものなれば、心におもふ事を、みるものきくものにつけていひいだせるなり。はなになくうぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるものいづれかうたをよまざりける。ちからをもいれずしてあめつちをうごかし、めに見えぬおにかみをもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきものゝふのこゝろをもなぐさむるはうたなり。
[『古今和歌集』より「仮名序]

考えてみれば、紀貫之が「仮名序」に記したことが、そのままSFアニメになっていただけだったとは。

ここ数年、折に触れてこのアニメ映画のことを、とりわけクライマックスを思い起こすことが多い。きっと私が覚えておくべきものがそこにあるからなのだろう。「おぼえていますか」と歌いかけられなければならないものがあるのだろう、という気がしている。

Colabo問題に言及しすぎるのもどうかと思うのですが、いかんせん進展が異様に速いもので。

延焼が、何と、赤い羽根共同募金にまで飛び火してしまっています。

中央共同募金会は本件に関し、Colaboなどに助成したのは〈赤い羽根福祉基金〉のほうの金で、〈赤い羽根共同募金〉の金ではありません、とかいう素敵な言い訳をして火消しを試みているものの、当たり前ですがまるで効果がありません。しかも、赤い羽根をめぐってはほかにも次々に燃料が掘り起こされてしまい、当面は炎上が続きそうです。

なお、私は昔から、子供たちに街頭募金活動をさせるのは児童搾取労働と同じという考えです。年の暮れ、寒風の吹きすさぶ中に子供たちが立たされて「あかいはねきょーどーぼきんにごきょーりょくおねがいしまーす!」と大声を張り上げ喉をからしている様は、何とも痛々しくて見ていられません。脇に立ってニコニコしている大人ども、街頭募金をしたけりゃお前らが自分でやれ、子供にやらせるなと、いつも思います。そう、子供を使う奴は信用できません。このたびの騒動を機に、赤い羽根共同募金に疑いを持つ人が増え、寒空の下で街頭に立たされる子供が減るのなら、大変良いことだと思います。