私はたまにアニメというものを見ることはあるし、現に今もリメイク放映中の「うる星やつら」を見ているけれども、決してアニメ好きといえるほどのものではない。特にロボットものとなるとほとんど見たことがない。

しかしながら、そんな私の心にも強烈に印象に残っているロボットもののアニメが、1作品だけある。映画『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』(1984)がそれだ。近年に至るまで多数作られてきている「マクロス」関連作品のうち、最初の劇場版である。

この映画を見たことのない人でも、飯島真理の歌う劇中歌をどこかで聞いたことぐらいはあるだろう。何せ当時は「ザ・ベストテン」にも出たのだ。

飯島真理唄「愛・おぼえていますか」

はっきり言ってしまうが、取り立てて何の変哲もない歌謡曲、至って平凡なラブソングでしかなく、もし映画で使われていなかったら売れなかったのではあるまいか。しかし、そんな〈当たり前のラブソング〉であることが、劇中では大きな意味を持ってくるのである。

さて「マクロス」を語るためには、まずその世界観の説明から必要になるのだけれども、なかなかこれが混み入っているため、極めてざっくりとした話だけしておく。

かつて50万年前に宇宙で繁栄した知的生命体があり、彼らはプロトカルチャーと呼ばれる。プロトカルチャーは遺伝子工学によって、ゼントラーディとメルトランディという巨人種族を作り出す。これらは戦闘用に作られた種族であり、文化というものを持たないように設計されている。

一方、プロトカルチャーは太古の地球の原住生物に遺伝子操作を加えて知的生命体を作り出した。その末裔がわれわれ地球人類である。

戦闘巨人種族のゼントラーディとメルトランディによる代理戦争は拡大の一途をたどり、本来は主であるはずのプロトカルチャーはその戦禍により絶滅してしまう。

50万年の時を経て、戦禍はついに地球に及ぶ。ゼントラーディから〈文化を持つプロトカルチャー、すなわち敵〉とみなされた地球人は攻撃され、わずかな人類が超巨大宇宙船マクロスで脱出する。このマクロスがどのくらい超巨大かというと、内部で数万人の民間人が生活し、さながら都市のような空間を形成しているほどである。

もはや廃墟しかない地球であったが、海底から浮上したプロトカルチャーの都市が発見される。そこに残されていた文字を、ヒロインの早瀬未沙が解読してみれば、それは太古にプロトカルチャーの街に流れていた歌──「愛・おぼえていますか」だった。地球人とゼントラーディの最終決戦のさなか、マクロスに乗るアイドル歌手リン・ミンメイがそれを歌うと、文化を持たないよう設計されているはずのゼントラーディの遺伝子から文化が呼び覚まされるのであった。

『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』より、最終決戦

戦闘ののち、結局あの歌は何だったのかと問われた未沙は、こう答える:「ただの流行歌よ。何万年前も昔に異星人たちの街ではやった、当たり前のラブソング」

『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』より、エンディング

人類を絶滅の危機から救ったのは、アイドル歌手の歌う何の変哲もない「当たり前のラブソング」にすぎなかったのである。特別でも何でもない、平凡な一篇の流行歌だ。

正直、私がこの映画を初めて見た時は、この意味が分からなかった。10代や20代では本当の意味が分からなかった。ようやくその意味が見えてきたのは、40代になってからのような気がする。

やまとうたは、人のこゝろをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。よの中にあるひとことわざしげきものなれば、心におもふ事を、みるものきくものにつけていひいだせるなり。はなになくうぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるものいづれかうたをよまざりける。ちからをもいれずしてあめつちをうごかし、めに見えぬおにかみをもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきものゝふのこゝろをもなぐさむるはうたなり。
[『古今和歌集』より「仮名序]

考えてみれば、紀貫之が「仮名序」に記したことが、そのままSFアニメになっていただけだったとは。

ここ数年、折に触れてこのアニメ映画のことを、とりわけクライマックスを思い起こすことが多い。きっと私が覚えておくべきものがそこにあるからなのだろう。「おぼえていますか」と歌いかけられなければならないものがあるのだろう、という気がしている。