辞職を表明するに至った静岡県の川勝平太知事が、自身の発言が騒動となったのは切り取り報道のせいだと抜かしているらしく、まあ新聞やテレビの切り取り報道による趣旨曲解というのは実際によくあることなので、件の訓示の全文を読んでみました。

──ということで、全文を読んでみたところ、職業差別発言は切り取り曲解でもなんでもありませんでした。昨日も書きましたが、オーウェルの『動物農場』の豚です。

当該箇所は──

毎日毎日、野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいは物を作ったりとか、ということと違って、基本的に皆様方は頭脳、知性の高い方たちです。ですから、それを磨く必要がありますね。
[「ABEMA TIMES」]

強いて言うなら、次のように言っておけばまだマシだったかも:

毎日毎日、野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいは物を作ったりとか、ということと同じように、基本的に皆様方は頭脳、知性を県民のために駆使しなければならない方たちです。ですから、それを磨く必要がありますね。

もっとも、この部分をこうしたところでやはり全文としては、愚民どもを操れるようになるため芸術やスポーツで心身をきたえておくべきだ、みたいなことしか言っていません。全体的に変な意識が汗のようににじみ出ている嫌らしさがあり、やはり『動物農場』の豚、もっとはっきり言ってしまえば共産党員と同類項です。

川勝氏[静岡県の川勝平太知事]は訓示で、新規採用職員らに「毎日毎日野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノを作ったりとかとは違い、基本的に皆さんは頭脳、知性の高い方。それを磨く必要がある」と述べた。

こんなオーウェルの『動物農場』の豚みたいなことを放言すれば、大いに問題視されるのは当然ですけど、分からなかったのでしょうか。

とりあえず何とかリニア新幹線の話も前へ進むことになりそうですし、静岡県民のみなさんは全国から怨嗟の声を浴び続けることにならなくてよかったですね。

昨日の記事はさらりと読み流してもらうとしまして。

一昨日のNHK大河ドラマ「光る君へ」第13回「進むべき道」での藤原実資は、スケベ心を起こすオッサンなどでは全くなく、民を思う藤原道長に刮目する、権力におもねらない良識と義の公卿その人でありました。残念ながら「日記にお書きなさいませ」と諭したあの妻はもういないのですが、もしかして『小右記』に今回の題材となることが書いてあったりするのでしょうか。

そして、今回見せてくれたのは何といっても藤原兼家でしょう。またしても仮病です。以前は、会議の途中でたおれ、正気に戻ってもそのまま病の振りを続け、安倍晴明と謀って花山天皇を出家させる計画へとつなぎました。今回は、会議で地方の民からの直訴に関して道長が意見したところ、それをあからさまに一蹴するのではなく、認知症の振りをして全く関係のない話をして応じてみせたわけです。なるほど、道長の立場を傷つけないようにしたのですね。もちろんその時点では私もあれが仮病だとは気づかず、終盤で兼家が晴明を呼び出して自分の寿命を尋ねたり、そのあと道長に政について語る場面まで来て、ようやく分かった次第です。

となると、ちょっと不思議な点もあります。源明子から扇をねだられた時、兼家は認知症の振りをしながらそれを彼女に与えたのですが、果たして兼家は明子の意図を察していたのかどうか、というところです。晴明に自分の寿命を問うていたことからも、もはや死期が近いことを察していたようですから、明子に対しても、どうせ己の死は遠くないのだから呪詛したければすればいいという思いだったのかもしれません。

さて、次回はついにその兼家も亡くなるようです。兼家亡きあとのあの三兄弟とその周辺は何かと騒がしくなるのですが、そこにまひろ(紫式部)をどう絡めてくるのかも楽しみです。

ところで、次回は再び清少納言が登場するようですけれども(時代の流れとしては当然なのですが)、私が前から『枕草子』はおもしろいですよと言っているのが今回の内容と絡められるとこんな感じ──

『源氏物語』は格調高い文体で書かれた小説であるのに対し、『枕草子』はどちらかというと軽妙に書かれたエッセイ集ですので馬鹿話っぽいのも多いです。

『枕草子』の当該箇所は次の通り:

右衛門佐宣孝といひたる人は、「あぢきなき事なり。ただきよき衣を着てまうでんに、なでう事かあらむ。必ずよもあやしうてまうでよと、御嶽さらにのたまはじ」とて、三月つごもりに、紫のいと濃き指貫、白き襖、山吹のいみじうおどろおどろしきなど着て、隆光が主殿助なるには、青色の襖、紅の衣、すりもどろかしたる水干といふ袴を着せて、うちつづきまうでたりけるを、かへる人も今まうづるも、めづらしう、あやしき事に、すべて、むかしよりこの山に、かかる姿の人見えざりつと、あさましがりしを、四月一日にかへりて、六月十日の程に、筑前守の辞せしに、なりたりしこそ、げにいひにけるにたがはずも、ときこえしか。これはあはれなる事にはあらねど、御嶽のついでなり。男も女も、若く清げなるが、いと黒き衣を着たるこそあはれなれ。
[『枕草子』]

藤原宣孝がしっかり名指しでネタにされています。「山吹のいみじうおどろおどろしきなど着て」(山吹色のやたらに派手な衣やなんかを着て)を踏まえた上で、もういっぺん上掲の画像を見てみると、そりゃネタにされるわなという感じです。そして、これが原因で紫式部がのちに自分の日記で清少納言をボロカスにけなすことになったという説が──。

土佐光起「紫式部」

昨夜の「光る君へ」第54回「春の夜の夢」では、赤痢から快復した藤原実資が翌年、まひろ(紫式部)に和歌を贈るというまさかの展開となり、意表を突きすぎていてさすがにびっくりしました。前回、藤原宣孝が病気見舞いに贈った枕絵が変な効果を発してしまったわけですよ。実資は「鼻くそのような女との縁談あり」とか日記に書いていたくせにねぇ。 X(Twitter)ではリアルタイムで「#黒光る君へ」がトレンドに上がっていまして、視聴者はみんな私と同じく大いに動揺していたことと思います。

何となく前年の日記を読み返していた実資が「鼻くそのような女」の箇所を読み、そこに挟んだままにしてあった例の枕絵を改めて見てしまったために、彼のスケベ心に火がついたわけですが、このあたりの逸話は彼の日記すなわち『小右記』に書かれていることを題材にしたものであろうと思われます。

『小右記』の永延2年3月12日(西暦988年4月1日)の記録によると──

道長君語指鹿為馬之故事、而以聞之想起鹿女、遣馬文。

藤原道長が『史記』の「指鹿為馬」の故事のことを語るの聞いていた実資が、前年の病気療養中のことを思い出して〈鹿みたいな女〉に〈馬にあてるべき手紙〉を送ることにした、ということらしいです。「指鹿為馬」といえば、まひろ(紫式部)が幼い頃に父から聞き、三郎(道長)に話して「三郎の馬鹿!」と怒っていたことがありますから、そこから『小右記』につないできたのが今回の脚本というわけですね。

実資がまひろに贈った和歌ですけれども、彼の字は読みやすいので私も簡単に判読できました。

その子はたち櫛にながるる黒髪のみだれぬ春はいかに咲くらむ

本作において道長の和歌はすべて『古今和歌集』からの本歌取りまたはパクリでしたが、実資はより深い学識の持ち主であるというところを脚本的には表現したかったのか、ここは何と与謝野晶子の本歌取りときました。確かに実資であれば、当時まだ無名だった与謝野晶子の短歌を知っていたとしても、特に不思議ではありません。

これに対しまひろも負けてはいませんでした。ただちに返した和歌が──

その妻になれよなどただ盃のひとつもなしに言はむものかは

口説く気があるなら酒の一杯ぐらいおごりなさいよと、身の程をわきまえず強気なこの返しは、言うまでもなく俵万智氏の本歌取りです。まひろのほうが実資よりさらに先を行っていたわけですね。

さて、歴史上の紫式部が本格的に実資と接点を持つのは、こののち十数年を経て宮仕えするようになってからのことですが、今回は前哨戦といったところでしょうか。

日本でリベラルを標榜する人たちが、ちっともリベラルではない似非リベラルだということが、端的に分かる話です。

ヘイト本でもなんでもなく、LGBTQ差別絡みについては日本よりも厳しい国々で普通に売られている書籍に対し、雑な屁理屈で「差別」のレッテルを貼って排除しようとし、思うように排除できなければ放火予告で脅迫するなどとは、とてもではありませんがリベラルな発想といえるものではありません。これは明らかに表現の自由に対する重大な挑戦です。

あいつらはもはや〈多様性ファシズム〉と言ったほうがいいでしょうし、私が前から使っている〈虹衛兵〉という言い回しもやはり的確であったと再確認するばかりです。あいつらを増長させると物言えぬ社会になります。