昨日の記事はさらりと読み流してもらうとしまして。

一昨日のNHK大河ドラマ「光る君へ」第13回「進むべき道」での藤原実資は、スケベ心を起こすオッサンなどでは全くなく、民を思う藤原道長に刮目する、権力におもねらない良識と義の公卿その人でありました。残念ながら「日記にお書きなさいませ」と諭したあの妻はもういないのですが、もしかして『小右記』に今回の題材となることが書いてあったりするのでしょうか。

そして、今回見せてくれたのは何といっても藤原兼家でしょう。またしても仮病です。以前は、会議の途中でたおれ、正気に戻ってもそのまま病の振りを続け、安倍晴明と謀って花山天皇を出家させる計画へとつなぎました。今回は、会議で地方の民からの直訴に関して道長が意見したところ、それをあからさまに一蹴するのではなく、認知症の振りをして全く関係のない話をして応じてみせたわけです。なるほど、道長の立場を傷つけないようにしたのですね。もちろんその時点では私もあれが仮病だとは気づかず、終盤で兼家が晴明を呼び出して自分の寿命を尋ねたり、そのあと道長に政について語る場面まで来て、ようやく分かった次第です。

となると、ちょっと不思議な点もあります。源明子から扇をねだられた時、兼家は認知症の振りをしながらそれを彼女に与えたのですが、果たして兼家は明子の意図を察していたのかどうか、というところです。晴明に自分の寿命を問うていたことからも、もはや死期が近いことを察していたようですから、明子に対しても、どうせ己の死は遠くないのだから呪詛したければすればいいという思いだったのかもしれません。

さて、次回はついにその兼家も亡くなるようです。兼家亡きあとのあの三兄弟とその周辺は何かと騒がしくなるのですが、そこにまひろ(紫式部)をどう絡めてくるのかも楽しみです。

ところで、次回は再び清少納言が登場するようですけれども(時代の流れとしては当然なのですが)、私が前から『枕草子』はおもしろいですよと言っているのが今回の内容と絡められるとこんな感じ──

『源氏物語』は格調高い文体で書かれた小説であるのに対し、『枕草子』はどちらかというと軽妙に書かれたエッセイ集ですので馬鹿話っぽいのも多いです。

『枕草子』の当該箇所は次の通り:

右衛門佐宣孝といひたる人は、「あぢきなき事なり。ただきよき衣を着てまうでんに、なでう事かあらむ。必ずよもあやしうてまうでよと、御嶽さらにのたまはじ」とて、三月つごもりに、紫のいと濃き指貫、白き襖、山吹のいみじうおどろおどろしきなど着て、隆光が主殿助なるには、青色の襖、紅の衣、すりもどろかしたる水干といふ袴を着せて、うちつづきまうでたりけるを、かへる人も今まうづるも、めづらしう、あやしき事に、すべて、むかしよりこの山に、かかる姿の人見えざりつと、あさましがりしを、四月一日にかへりて、六月十日の程に、筑前守の辞せしに、なりたりしこそ、げにいひにけるにたがはずも、ときこえしか。これはあはれなる事にはあらねど、御嶽のついでなり。男も女も、若く清げなるが、いと黒き衣を着たるこそあはれなれ。
[『枕草子』]

藤原宣孝がしっかり名指しでネタにされています。「山吹のいみじうおどろおどろしきなど着て」(山吹色のやたらに派手な衣やなんかを着て)を踏まえた上で、もういっぺん上掲の画像を見てみると、そりゃネタにされるわなという感じです。そして、これが原因で紫式部がのちに自分の日記で清少納言をボロカスにけなすことになったという説が──。