全国各地から大雨、そしてそれによる土砂崩れや河川氾濫のニュースが絶え間なく聞こえてきますが、当地埼玉は暑い、とにかく暑いです。それにしても明日から3日間の予想気温はかなり異常です。

熱中症アラートは毎日のことなので、もはやニュースではありません。今の時刻(22時)に気温28度と聞いても驚かなくなりました。

正確に覚えていないのですが確か30年ほど前、ひどい猛暑だと騒がれていた夏があり、深夜のテレビのニュースで0時近くに「現在の東京の気温は27度──」と言っていたのをかすかに記憶しています。0時で27度って、近年の夏の関東では普通のことになってしまいましたね。ひどい時は30度近くになりますし。

昼間は体温を超える危険な暑さとなるため、長時間の外出や、空調の効いてない場所での運動は避けた方がよさそうです。
[同]

──とまで言われているのに、明日からも相変わらず屋外の炎天下でコーコーヤキュー教の儀式が行われるらしいです。毎夏思いますが、本当に狂っていますよね、あいつら。死人が出るまで毎年やるのでしょうな。

「雪印コーヒー500ml」の容器には、600mlの水が入るはずなのになぜ100mL少ない状態で販売しているのか。なぜ学校で習う容積の単位「dl」を用いないのか。――児童の問い合わせに対し、雪印メグミルクが粋な回答を行ったとSNSで話題になっている。

私も小学生の頃、なぜ世の中ではデシリットルを使わないのかと疑問を感じた記憶があります。疑問は解決されず、ただ何となく、そういうものなのだと受け容れてしまいました。児童の問い合わせにきちんと応対した雪印メグミルクの広報に感心するのはさることながら、ちゃんと疑問は疑問として大事にしメーカーに問い合わせた児童に感心します。

結局、デシリットルなんて小学校を卒業して以来一度も使ったことがありませんね。はっきりいって教える必要のない単位に思えますが、算数で3桁の数字を教わるのは2年生なので、1年生でミリリットルは教えられないという事情もあります。ちょいとググってみたところ、2年生でミリリットルを教わることになっているようですが、私自身は小学校の算数でミリリットルを使った記憶がないのですよねぇ。ある程度の学年になると「5デシリットル」の代わりに「0.5リットル」と言うようになりますから。「500ミリリットル」は、気づいたら日常生活で使っていて、中学の数学でも使っていたという感じですよ。

えっとー、8日付「東京新聞」の記事によると、IAEAは日本もカネを出している機関だから中立性・公平性が疑われるのではありませんでしたっけ?

しかしまあ、何度見ても笑えますよね、例のコミュニティノートは。

もはや報道しているというより、自分たちの都合に合わせて下手な小説を書いているだけですね。ブン屋が読者をだませた時代はとっくに終わったのですよ。

昨夕18時半過ぎ、さいたまにいて空を見たら、加須、幸手、茨城方面に今まで見たことのないようなラピュタ雲が積み上がっていて、稲妻がピカピカするし、あれはかなりヤバいやつなのではと思ったら、案の定──

猛暑の日は夕方の天候急変が怖いです。何度かひどい目に遭っているので、降水確率ゼロの予報でも傘は持つようにしています。まあ、突風やら竜巻やらは傘なんか持っていてもどうしようもないのですが。

Twitterに「コミュニティノート」という新機能が追加され、このほど試験運用から本運用に移りました。例えば水着撮影会騒動のきっかけとなった共産党埼玉県議団の投稿などにも適用されているため、気づいている人も多いことでしょう。

従来、カツドーカなどがTwitterにデマを投稿しても、反論や批判をブロック機能等で封じることができたため、事実上はデマ屋のやりたい放題になっていて、このことがTwitterの情報源としての質の低さの原因になっていました。このたび追加されたコミュニティノート機能では、読者の誰の目にも留まるような形で、機能協力者が背景情報を補足することができるようになりました。

例えばこんな感じ──

東京新聞記者の望月衣塑子氏が煽動的な投稿をしましたが、コミュニティノート協力者が必要な情報をあとに付加しているため、同氏の投稿内容に問題があることが読者すべての目にさらされることになっています。つまり、望月氏のこの投稿を見るすべての人の目に、コミュニティノートも届くようになっています。それっぽい肩書の人がTwitterで何かテキトーにイカニモなことを言っても、読者からのツッコミがきちんと可視化されるので、簡単に嘘が嘘とばれるようになりました。

ついでだから言っておきますが、IAEAには日本政府がカネを出しているから中立性が疑われるなどと言うのなら、国連機関をはじめとにかく日本が絡む諸々の国際機関は中立性が疑われることになりますし、国内でいえば学術会議なんかまるで中立性がないことになってしまいますよ。こんなくだらない記事に大きく紙面を割くような新聞なんぞ、とうてい天下の公器たる役目を果たし得るものではないでしょう。

まあ、科学的根拠をもって反論できないからといって、人格や団体そのものをおとしめるというのは、カツドーカのいつものやり口ですが。