台風7号アンピルの接近により、うちのほうでは線状降水帯が発生するおそれがあると、昨夜から気象庁が言っているのですが、対象地域が伊豆諸島から関東プラス山梨というかなりの広さのため、特別な注意喚起としての意味はあまりない感じで、とにかく台風に警戒するしかないです。

報道では「非常に強い勢力で関東に最接近」という言いかたですが、実際に危険なのは千葉や神奈川の海に近いほうのようですね。とはいえ、こういう時は突発的に荒れることがあるので、こちら埼玉でも注意は必要です。それにしてもこんな日に朝から開園している浦安ネズミーランドは馬鹿なの?(閉園時間は繰り上げられるらしいですが)

私は毎年この日すなわち8月15日に「真宗門徒が世界平和を願うということ」というテーマの文章を公開しているが、それは奇しくも7年前のこの日に法友が亡くなったことがきっかけだ。今年はこの日に合わせて、広く彼と縁のある面々の追悼文を集めて文集を出すという企画があり、私を含め周辺の3人のうちから2人寄稿してもらえないかと打診があったのは、昨年11月のことであった。その際、私に何か書けるだろうかと数日考えてみたのだけれど、どう考えてみても、企画の趣旨に合わない不穏当な文章しか私の頭には浮かばなそうな気がしたので、私は引くことにして残る2人に寄稿を頼み委ねた。何とも業の深い人間だ。

このたびここに書くのは、その「企画の趣旨に合わない不穏当な文章」である。

その法友は、16年前に設立された〈真宗大谷派・9条の会〉なるものに名を連ねていた。私は同会絡みで聞こえてくる話がいちいち気に入らなかったため、その不満を彼にぶつけたことがある。その時の彼はこう答えてくれた:「待っててください。ぼくが中から変えますから」─。

〈真宗大谷派・9条の会〉のふざけたありさまを、彼が内側から変えてくれることがかなわないままに亡くなってしまったことは、まことに残念としか言いようがない。

──のであるが、そもそもの話として〈真宗大谷派・9条の会〉が今も存続しているのかいないのかが不明である。設立当初は丁寧に作り込まれた公式サイトがあったものの、すぐに更新されなくなり、やがていつの間にか消えてしまった。お寺などの関係からも同会に関する話はまるで私の耳に入ってこない。SNSのアカウントがあるわけでもない。

〈真宗大谷派・9条の会〉が設立された当初から私は、あんな勘違い集団なんぞさっさと消滅してしまえと毒づいていたので、さっさと消滅してくれたのならそれはそれでかまわない。ただそれにしたって、宗門の公式団体ではないにせよ宗門の名を冠した護憲活動を仰々しく旗揚げしておきながら、ほんの数年で影がなくなるとは、あまりにもみっともない話ではないか。平和を守る俺たちは意識が高くてかっこいい、などとミーハー根性で酒に酔った勢いで始めたりするからそうなるのだ。

ネットなどで大っぴらに情報発信はしていないが、会員たちは今でも地道に活動を続けている、というたぐいの指摘は必要ない。少数の仲間だけで集まって井戸端会議をやるのみで、対外的に何も発信しないような集まりであれば〈真宗大谷派・9条の会〉なんて名称は大きすぎるから、まずはその看板を下ろすべきだ。「今は少数の集まりだけれど、やがて護憲の輪を広げて大きな力にしてゆこうという願いが──」などと言うのであれば、なぜ大きな力にしてゆくための対外的な情報発信すら怠るのか。あるいは「ネットで発信するとウヨクからヒボーチューショーが──」などと抜かすかもしれないが、自分たちは言いたいことを言うけれど言われるのは嫌だとかそんなどこぞの都知事選落選者みたいな薄っぺらさで〈真宗大谷派・9条の会〉なんてものをぶち上げるのは、それこそ器に合わないというものである。もうこれは、居酒屋の個室で数人が集まって幼稚な夢を語り合っている〈9条愛好会〉でしかなく、はたから見ればただの笑いものだ。まあ、それもこれも、もし同会が存続しているならの話にすぎないが。

話は戻って、かつて私が〈真宗大谷派・9条の会〉に対して抱いていた不満について述べよう。端的に言うと、彼らには〈真宗大谷派門徒ならわれわれの会に賛同するのが当然だ。それが本願念仏に生きる証しだ。われわれこそが宗門の未来を担っているのだ〉という明らかな勘違いと傲慢さがあった。経典の言葉を自分たちに都合よくもてあそび、お念仏の幟旗を揚げて陶酔しているせいで、自分たちではすっかり分からなくなっているようだが、言っていることは〈われわれの政治信条に異を唱える者は真宗門徒ではない〉という意味である。一体どこのカルト教団であろうか。少なくとも私が聞かせていただいてきた御仏の教え、親鸞聖人の教えとは相容れない。そんな連中から真宗門徒ではないと言われるのであれば大いに結構、むしろ誇らしく思うくらいだ。

真宗教団連合「法語カレンダー」の今月の言葉は「私たちの人生の争いは いつも善と善との争いだ」とある。まさに〈真宗大谷派・9条の会〉に名を連ねている人たちの好きそうな言葉だ。「戦争とは正義と正義の戦いなのです」のような。そんな浄土真宗の教科書的な法語を舌先に転がしながら、しかし彼らは〈9条という善、9条という正義〉を振りかざし、自分たちが〈平和の敵〉のレッテルを貼った者たちと争う己の姿を、省みることなど一秒もない。

初めの頃は私も、野党よりマシという以外に取り柄のない政権だのなんだの言っていたわけですが、直近1年ほどの岸田首相はそれでもかなり頑張っていたと思いますよ。何を言われようが言われまいが、やらなければならないことを粛々とそしてサクサクと片付けてゆくスタイルは、いわば一種の殉職を覚悟したと感じさせるものがありました。もしかしたら安倍元首相が暗殺されたことで自身の中に何か変化が起きたのかもしれませんし、あるいは菅前首相の身の引きかたが頭のどこかにあったのかもしれませんね。

ところで──次はどうなるのだろうと考えると気分が暗くなります。消去法的に1人しかいないと思うのですよ。ええ、とても頭が切れて仕事のできる、経済と産業を分かっているあの人です。ただ、支持基盤が脆弱すぎるというのが──。

ゲーセンのメダルのほうがよほど高品質なのではという気もしてきます。真面目な話、日本の町工場に発注したほうがいいのではないでしょうか。

あらゆる面においてフランスとパリのダメダメっぷりをさらしてくれた今回の五輪でしたが、終わったあとまで収拾がつかないとは。

必ず出てくるたぐいなので、またかという感じでしかありませんが。

倉田さんは「『来るか来ないか分からない危機に十二分に備え毎日を生きる』って、これもう個人の趣味」とつづり、「自分だけなら好きにすればいいが、他人や社会を巻き込むのはやめて」と私見を記した。

こういうのって、逆に政府が何の注意喚起もしなければ政府に文句を言うし、実際に大地震が起きたら政府に文句を言うし、大地震が起きないまま1週間が過ぎれば政府に文句を言うし、1週間を過ぎてから大地震が起きれば政府に文句を言うしか能のない、要するに駄目野党や似非リベラルのエッセンスみたいな居酒屋談義ものですから、まともに取り合わなくていいでしょう。

その一方、政府の呼びかけに過剰に反応して、東海から九州にかけての太平洋側への夏休み旅行を取りやめたりするのも、どうかと思いますけどね。そもそもこの国に住んでいたら、いつどこにいても地震に遭うことは覚悟しないといけませんし、数十年単位ならともかく数日単位の短期的な地震予知なんて今の技術ではほぼ無理ですから、ふだんからそういう意識を持っておくしかありません。

個人的には──車の運転中、大きめの交差点の真ん中で右折待ちしている時に緊急地震速報が入ってビビったことがありまして、ビビっても仕方のないことなので心の準備はしておこうかと。