昨年夏、関東地方のデパートで試食販売をしていた。中年の女性から「おいしいねえ。これはどこ産?」と聞かれ、うれしくなって「福島です」と笑顔で答えた。

その瞬間、女性は口に入れた桃を吐き出し、立ち去った。

わが真宗大谷派の僧侶および寺族の中には、桃を吐き出したその女性と同罪の者が少なくない。自分はそんなことはしないと言うかもしれないが、そんなことをする者を増やすようなアジ演説を「法話」の名目で行うなど、デマを吹聴してきた僧侶・寺族が実在することは、紛れもない事実である。

「慙」は人に羞ず、「愧」は天に羞ず。これを「慙愧」と名づく。「慙愧」は名づけて「人」とせず、名づけて「畜生」とす。

[親鸞聖人『教行信証』。ただし『真宗聖典』(京都、東本願寺出版部、1978年)257-58頁]

無慙愧に「恥を知れ」と言うのは無駄だから言わないでおくが、上記シリーズ記事を100回熟読せよ。