昨秋のことになるが、SNSでとある中学校教員のぼやきを見かけたことがある。いわく、その学校では毎年いわゆる平和教育なるものを実施しているそうなのだが、3年生に最後となる平和教育を行うべく気合を入れて特別授業に挑んだところ、生徒たちの反応がまるっきり冷笑的で、頭を抱えたとのことだった。

さもありなん、である。高校受験を控えた中学3年の2学期といえば、生徒たちは平和教育とかいうくだらないものにかまけている暇はない。

平和教育がくだらないとは何ごとか、平和について学ぶことは受験勉強なんかよりよっぽど大事ではないか、などと、あなたがセーギノミカタ根性を振りかざして主張するのは勝手だが、事実として平和教育なんてものはくだらないのだから、くだらないとしか言いようがない。もうちょっと厳密な言い方をすれば、平和について深く考える機会を生徒に持ってもらうことは大事だけれども、主として学校で行われるたぐいのいわゆる平和教育なんてのは平和について深く考える機会とはなり得ていないから、くだらないとしか言いようがないのである。

中学生とてそうそう馬鹿ではない。平和教育なる退屈な特別授業の最後に感想文で「戦争の恐ろしさがよく分かりました」「平和の尊さがよく分かりました」とでも書いておけばいいことぐらい、ちゃんと知っている。あるいは「戦争を仕掛けられて悲惨な目に遭わないよう、防衛力を強化すべきだと思います」なんてうっかり書いたりしたら、偏向教員に内申書を悪く書かれてしまうのでやめておいたほうがいいことぐらい、ちゃんと知っている。最初から正解が分かっているので、授業を真面目に聞く必要がないのである。

だから私は先に明言した。平和教育なるものはくだらない、と。そんなものはやめてしまったほうがよい。時間の無駄だ。単に無益というならまだましなほうで、たまに〈平和の敵である悪の日本政府を倒せ〉みたいなことを吹き込む教員がいたりするのは、もはや害悪ですらある。

そもそも、日本が先の戦争に突き進むことになった機序、さらにさかのぼれば明治維新からの日本が富国強兵を推進した事情を、いわゆる平和教育において客観的に詳細に教えているわけではない。〈日本がアジアを支配しようとして侵略戦争を始めた〉みたいな非常に幼稚で雑で不正確なナラティブの上に、〈日本軍はあちこちでひどいことをしたし、国内も空襲を受けたりしてひどいことになった。全部日本が悪い〉みたいな非常に幼稚で雑で不正確なナラティブを積み上げているだけである。こんな話をうんうんと聞いていられるのはせいぜい中学1年か2年までだろう。

これは、わが真宗大谷派にウジャウジャいる〈兵戈無用〉衆も同様だ。当時の国際情勢がどういうものであったか、当時の世界秩序はどういうふうに保たれていたのかを、きちんと踏まえて物を言っている人が果たしてどのくらいいるのか、疑問でならない。大概はいかにも師匠のセンセーから吹き込まれたらしい話を再生しているにすぎず、自分の頭で考えている様子がない。あるいは「当時の情勢がどうたらこうたらは関係ない。とにかく人と人が殺し合う戦争は悪だ」と断じるなら、例えば(これも私が過去さんざん繰り返し言ってきていることだが)一向一揆の戦をどうして同じ口で聖戦のように語れるのだろうか。

学校で行われるいわゆる平和教育と同様、〈兵戈無用〉衆の訴える「非核非戦」とやらも実に薄っぺらい。くだらない。やめたほうがいい。私たちはみな平和を望んでいるはずなのに、なぜ戦争を起こしてしまう存在なのかという問題を、まるで掘り下げている様子がない。軍隊が悪い、政治が悪い、日本が悪いのだから日本がおとなしくしていればいい、と底の浅いことばかり言っているなら、頭も時間も使う必要がない。平和教育よろしく型通りに「戦争の恐ろしさがよく分かりました」「平和の尊さがよく分かりました」と言うだけなら、仏法など必要ないのだ。まずは、自分たちが平和について本当にどこまでの考えを持っているのか、じっくり自問することからやり直したほうがよい。人に教え諭してやろうなどと偉そうなことを考える前に。