3年前、2020年の暮れに、私はこのような文章を書いた:

新型コロナウイルスの世界的大流行が始まって1年弱がたった頃に書いた文章であるが、ポストコロナの年となった今年も終わる今これを改めて読み返してみると、私の書いたことに寸分の誤りもなかったことを確認できる。

このような非常時には人間の本性があらわになる。とりわけ、この一年で、野党およびその支持者ならびに報道媒体、すなわち似非リベラルあるいは似非左派の正体が、反国家的かつ反国民的な勢力にすぎないことが明らかになったと断言してよい。私は彼らに失望したとか、もはや何も期待しないとかではなく、積極的に駆逐しなければならないと思うようになった。
[同]

国を良くするため、国民生活を良くするために意見を述べ合うのは、民主政治において当然必要不可欠なことである。国を良くするため、国民生活を良くするためであれば、どんどん議論すればよい。しかるに、似非リベラルどもは何が問題かというと、国を良くしよう、国民生活を良くしようという意志がそもそもないという点だ。国会での似非左派政党の議員たちの発言を聞いていても、まるで居酒屋で飲んでクダを巻いているのと同じで話にならない。居酒屋政談は居酒屋でやるものであって、永田町でやるものではない。

抽象的な話では分かりにくいので、やや具体的な話をしよう。

問: 立憲民主党、共産党、社民党などは、私をコロナ禍から守るために何をしてくれたか。

この問いにまともに答えることのできる人がいるなら、ぜひお目にかかりたい。言っておくが「PCR検査を増やすよう政府に提言した」などというのは駄目だ。PCR検査を増やせと言うだけなら誰でもできる。また、増やせと言われて翌日から簡単に増やせるようなものでもない。政治家が議会の場で物を言うのであれば、それを早期実現するためのある程度は現実的な案を提示しなければならない。それができないなら居酒屋政談と同じだ。

私は見てきた。似非左派どもは私をコロナ禍から守るために何もしてくれなかった。それどころか、コロナ禍から私を守るため手を打ってきた政府を、ひたすら邪魔することに熱を上げていた。政府の措置は決して満点とはいえなかったし、私自身も不満はあったけれども、それでも、ただ単に政府を邪魔するだけの奴らよりははるかにましだった。

野党どもはとりあえず政府・与党に反対し、政治を邪魔するのが自分たちの仕事だと勘違いしていて、国民のことなどこれっぽっちも考えていない。むしろ、そんな野党どもの妨害にもめげず、アメリカに赴き製薬会社とさっさと話をつけてすさまじい速さで接種を推進した菅政権の功労こそ、高く評価されるべきであることは言うまでもないが、その有能な政権を野党どもは報道の馬鹿どもといっしょになって総辞職に追いやってしまった。もはや国家と国民の敵としか言いようがない。さて、野党の妨害に屈せず政府が尽力したおかげでワクチン接種が進んできたら、野党どもは何を言い出したかというと「政府はワクチンに頼りすぎ」とのことである。本当にただ単に政府・与党に難癖をつけて邪魔しているにすぎないチンピラ同然のクズどもなのである。

もう一度問う。立憲民主党、共産党、社民党などは、私をコロナ禍から守るために何をしてくれたか。どうせまともに答えられまい。答えられるものなら答えてみろ。

さて、ポストコロナとなった今年は、コロナ禍絡み以外でも似非リベラルの正体がはっきり見えてきた。共産党は、党中央に批判的な党員を次々に除名し、水着撮影会騒動では国民に権力の刃を向けて人権を侵害しかつ関係者に経済的な損害をもたらし、福島第一原発の処理水の件においては執拗に「汚染水」という言葉を用いて福島の漁業に風評被害をもたらす工作を行い、もはや国家と国民の敵であることを隠さなくなっている。社民党もまた〈あきたこまちR〉について何ら根拠のないデマを拡散し、秋田の農業をつぶそうとしている。そして、立民党はあろうことか共産党と組むと言いだしている。

2024年に衆院解散総選挙があるかどうかは分からない。もしあるのなら、反国家的かつ反国民的な勢力を民主的な手続きによって民主政治の場から駆逐することを進捗させなければならない。