自分の大嫌いな人物が凶悪事件に巻き込まれて殺されたりしたとき、不謹慎ながら内心ちょっと喜んでしまったりするのは人間なら誰しもの業であろうけれども、思ってしまったとしてもそれを大っぴらに口にするかしないか、あるいは口にするにしても慚愧を伴っているかどうかで、雲泥の差がある。

これが似非リベラルの正体だ。彼らは、自分たちの意に沿うテロなら肯定するのである。

もちろん保守派とされる者たちの一部にもこの手のはいるが、それは「5ちゃんねる」の〈名無しさん〉で象徴されるたぐいの連中がほとんどであろう。一方、似非リベの場合は、教授だの文化人だのという肩書の人物が公の場で平然と「暗殺が成功して良かった」などと言い放つところが特徴である。分かりやすくざっくり言えば、ミギの馬鹿は誰の目にも明らかにただの馬鹿の群れなので便所の落書きレベルでどうでもいいのだが、ヒダリの馬鹿は新聞やテレビで論陣を張る〈知的〉な肩書を持つ著名人だったりすることがよくあるから問題なのだ。

さて、島田雅彦氏による「[安倍元首相の]暗殺が成功して良かった」との発言の真意等について「夕刊フジ」が彼に質問を送っていて、それに対する回答が上記記事の5ページ目に全文掲載されている。一応最初から最後まで目を通してみたが、呆れるしかなかった。

まず、島田氏が実際に「暗殺が成功して良かった」発言について述べているのは、冒頭の一部分だけでしかない。そのまま抜き出してみる:

テロの成功に肯定的な評価を与えたことは公的な発言として軽率であったことを認めます。殺人を容認する意図は全くありませんが、そのように誤解される恐れは充分にあったので、批判は謙虚に受け止め、今後は慎重に発言するよう努めます。
[同、p.5/5]

これがすべてだ。何と、「暗殺が成功して良かった」発言を撤回する意志はないようである。発言は軽率であり、誤解され得るものだったので、批判を謙虚に受け止め今後は慎重にする、と言っているだけだ。どこを探しても、さすがに不適切で言いすぎだったと反省しているので撤回する、の一言が見当たらない。ふっ、つい口が滑っちまった、うるさいのが多いから今後気をつけまーす、というだけの言いぐさで読者を大いに馬鹿にしている。

また、そもそも「テロ[安倍氏暗殺]の成功に肯定的な評価を与えた」ことを認めていながら、すぐに「殺人を容認する意図は全くありません」と矛盾する言葉を書いていて、意味が分からない。殺人成功に肯定的評価を与えるが殺人を容認する意図はない、とはどういうことか。この人は自分の言っている言葉の意味も分かっていないのではあるまいか。

さらに、上記の引用部分のほかは、容疑者に同情していたとか、暗殺によってカルト問題が暴露されたのは事実だとか、先制攻撃や敵基地攻撃には反対だとか、問題と直接関係ないことをダラダラと書き垂らしている。大学の課題のレポートでこんなのを書いて出したら単位を落としそうな気がするが、このセンセは大学で学生に何を教えているのだろうか。

これが似非リベラルの正体だ。彼らは、自分たちの意に沿うテロなら肯定するのである。自分の意に沿うテロは良いテロ、自分の意に沿わないテロは悪いテロという根性は、まさしく例の都立大教授と同種である。