テクスト: カズオ・イシグロ (Kazuo Ishiguro) 土屋政雄訳『わたしを離さないで』 東京、早川書房、2008年。初刊は同社、2006年。原著 Never Let Me Go の発表は2005年。

〔2017年9月7日(木)読了〕

カズオ・イシグロ氏は原著の出版に際し、宣伝においてネタバレしてもよいと言ったそうだ。もっとも、ネタバレしては実際のところおもしろみが欠けるから、関係者たちは大っぴらなネタバレを避けたようである。書評家たちも大方ネタバレを避けてきている。もっとも、本作は映画化されたし、日本ではテレビドラマ化されたので、今さら本稿においてネタバレを避けるべきでもあるまい。

本書ではまず最初に、物語の設定が「一九九〇年代末、イギリス」であると明示される。主人公キャシーの一人称語りの形で話が進められてゆく。前半の主たる舞台は、キャシーがかつていた、田舎にあるヘールシャムという施設だ。描写のされ方からすると寄宿制の私立学校で、小学生から高校生ぐらいまでの年代が集められているようである。イギリスの田舎の寄宿制の私立学校──誰もが牧歌的な環境を想像するはずだ。

ところが、しばらくして読者は違和感にとらわれることになる。現在のキャシーの職業は「介護人」であり、それは「提供者」の世話をする仕事であり、かつて彼女がいたヘールシャムでの教員に該当すると思われる人々は「保護官」と呼ばれ──。とにかく定義の不明な言葉がちりばめられている。もっとも、「提供者」と訳されている元の単語はきっと “donor” だろうと察しがつけば、何に関する物語なのかはおおよそ見えてくる。そのまま「ドナー」とカタカナにしたほうが分かりやすいものを、わざわざ「提供者」と訳すことで謎めかせた土屋政雄氏の技はすばらしい。

ページが進むにつれ徐々に徐々に明かされてゆく。この物語が描く世界においては、臓器提供用のクローン人間が作られており、ヘールシャムとはそんなクローンの子供たちの生活と教育のための施設なのだった。彼らはやがて長じると、別の施設へ移って猶予期間を経てから「提供者」すなわち臓器ドナーとしての役割を果たしてゆくことになる。

田舎の寄宿制の学校を最初に読者に想像させておきながら、実はそこは臓器提供用のクローン人間を育てる施設だったという、驚愕すべき展開のSFである。そう、誰もまさか最初は本書がSFだとは思わなかったはずだ。

しかしながら、本書はそういう医療SF的な色を前面に出しているわけではない。それはあくまでも物語を支える骨格の部分の世界観だ。物語はあくまでも、クローンとして作られ将来は必要に応じて臓器を提供する役割を負うというさだめのもとに生まれた、いわば人間でありながら人間としての尊厳を認められない子供たちの、人間としての成長を描いている。

題名は、少女時代のキャシーがカセットテープで愛聴していた「わたしを離さないで」 (Never Let Me Go) という歌の歌詞の意味を勘違いしていたということに由来するが、さらにその「わたしを離さないで」というフレーズは物語の終盤で大きな意味を持って再び現れる。

かつてヘールシャムの運営に関わっていた「マダム」と称される女性が、終盤で「わたしを離さないで」に寄せてこう語る:

新しい世界が足早にやってくる。科学が発達して、効率もいい。古い病気に新しい治療法が見つかる。すばらしい。でも、無慈悲で、残酷な世界でもある。そこにこの少女[キャシー]がいた。目を固く閉じて、胸に古い世界をしっかり抱きかかえている。心の中では消えつつある世界だとわかっているのに、それを抱きしめて、離さないで、離さないでと懇願している。
[415-16頁]

イシグロ氏がどうしても書きたかったのは、この数行だったのではあるまいか。これを書くだけのために、一篇の小説を作ったのではないだろうか。