行政が自分の望んだように動いてくれないからといって「日本死ね」などと言うのは、あまりにも大人げがないだろう。まあ、子供を保育園に入れてもらえなかった親が、いわば発作的に「保育園落ちた日本死ね」などとブログに書き込んでしまうのは致し方ないのかもしれないが、そこのところで百歩譲るとしても、しかしながらその言葉が今年の「新語・流行語」トップ10に入ったことについては、譲れないことばかりだ。

そもそも「新語・流行語」といえるほど流行したとは思えない。保育園に落ちた親がみんな「日本死ね」と言ったり書いたりしていたわけではないし、政治に不満を持つ人が同様に「日本死ね」という言い回しを流用したわけでもない。こんなのは一部で話題になっただけだ。

「死ね」などという言葉を「新語・流行語」に選ぶ委員たちの感覚もかなり狂っている。人間として恥ずかしいと思わないのか。愚かな選考委員たちの名前を、しっかり覚えておくことにしよう。

そしてなにより「保育園落ちた日本死ね」の受賞者として民進党の議員が表彰式に赴いたり、それを党が誇らしげに記事にしているのは、かなり異常である。

民進党は例によって頭が悪いので分かっていないかもしれないが、これはつまり「日本死ね」が党の公式見解だと公言しているということである。これは、短期間ながらも政権を担っていたことのある現野党第一党として、あるまじき振る舞いだ。「自民党政権死ね」ぐらいならまだしも(いや、それでも問題はあるが)、あろうことか「日本死ね」とそもそもこの国を否定するような言いぐさは、決して比喩だなどという言い訳で許されるものではない。

流行語大賞死ね。ユーキャン死ね。民進党死ね。