玉城氏には然るべき審判を
辺野古沖船転覆事故に関する文科省の調査結果と見解に対して、沖縄県の玉城知事が先ごろ「[平和教育のありかたに]踏み込みすぎた」などと批判した。
これを受けて、事故遺族の方が、ならば〈踏み込みすぎない〉平和教育のプランの例を参考までに見せてほしいという、事実上の公開質問を「note」で発信していた。
‥‥もし沖縄県が辺野古への基地移設問題を高校生向けの平和教育の題材とするならば、玉城デニー知事としては、どのような取り上げ方とコース設計を推奨するか、参考までに教えていただきたい。
文科省の報告に沿ったものでなくても良い。玉城知事の発言の解像度を高めるためのものとして、見解を知りたい。
これに対する玉城知事のコメントを記者が求めたら、知事からは「見てはいないけども、そういうようなお話がある、質問があるとは聞いている」という、何ともふざけた答えがあった。
見ていないと言うならということで、記者がさらにその場で事故遺族の「note」を読み上げて聞かせた上でコメントを求めたところ、知事は「この内容がいいとか、この内容が良くないという表現は控えたいが、幅広く子供たちが学び、考え、いろいろと話し合いをしながら、教育の本質的な部分をしっかりと自分たちで学ぶことができる、そういうプログラムを検討されるのが望ましい」などと、答えになっていない答えを返してきた。
つまり要点はそういうことである。
- 「辺野古事故遺族の〝公開質問〟に沖縄・玉城知事「見ていないが、質問があるとは聞いた」」 << 「産経ニュース」
〈平和教育〉の中で起きた事故で1人の生徒が死んでおり、ほかにも多数の生徒が重軽傷を負っているにもかかわらず、知事は〈平和教育〉を点検する必要はないと言い、亡くなった生徒の肉親からの問いかけは見る価値もないと考えているのだ。
文科省の指摘に対し「踏み込みすぎ」などと言いながら、ではどういうのが〈踏み込みすぎない〉平和教育なのかと問われれば、知事はまともに答えないのだ。
私はこれまで、よその地方自治体の首長についてあれこれ言うのはなるべく控えてきた。地方にはそれぞれ事情があるのだし、地方自治体の首長はそこの住民たちの直接選挙によって選ばれているのだから、それなりの尊重はしなければならない、と考えているからである。しかし、沖縄県の玉城知事についてはもはや例外とみなさなければならない。
米軍基地反対という方針は方針としてかまわないが、基地反対だけを旗印にしてその他のあらゆる県政において無能をさらし、「基地反対」を標榜する暴力集団のいかなる振る舞いに対しても警察を動かさずにおり、ついには県外から訪れた人(それも高校生)を死傷させるにまで至り、それでもなおまともな対応ができないのなら、3カ月後の知事選では然るべき審判を受けるべきだし、そのような審判を県民が下すことを強く望む次第である。