そうそう、先日ちょっと書いた話に絡んで最初に言っておきます。1句、2句…と数えるのは俳句や川柳です。短歌(に限らず今様や都々逸も含めた大概の和歌)は、1首、2首…と数えます。「和讃六句引」とか言わないでしょ。短歌で「句」といったら、5-7-5-7-7を構成する5つの句のことです。歌詠みに「ではここで何か一句!」などと言ってはいけません。キレられます。

では本題。昨日放映のNHK大河ドラマ「光る君へ」第6回「二人の才女」では、右大臣家と九条流の対立、そして藤原詮子が右大臣家から離反する動きという、2つの分断が進みました。

そのいずれにも巻き込まれるのが藤原道長です。歴史を知っているわれわれは、道長といえば時の権力者となる人物だと思っていますが、今回時点での道長は右大臣家の子息とはいえ三男坊(実際には嫡妻以外の子供も含めると五男坊)ですから、頂点に上り詰めるべき存在ではないのです。だから、左大臣家の婿にという駒にされるわけですね。父親の藤原兼家から源倫子の婿になってはどうかと言われたあとに、兼家とは距離を置いている詮子からも倫子の婿になりなさいと言われたのですから、何のこっちゃという気持ちでしょうな。そして、詮子もだんだん怖い存在感を見せてきましたね。

藤原道隆が主催した漢詩の会で、まひろ(紫式部)がききょう(清少納言)と初めて顔を合わせることになりました。紫式部と清少納言は宮中に出仕していた時期がずれているので、実際に顔を合わせたことがないと言われていますが、御所の外でなら接触があったというのが本作での設定となります。初登場のききょう、言いたいことを明るくずけずけ言ってのけてしまうところはまさにキャラですが、清少納言ならもっとひねりを加えたことを言ってくれるのでは、というのが私の思いです。

さて、今回終盤に道長がまひろによこしてきた和歌──。私ですらはっきり聞き覚えがあったので有名どころというのは分かりましたが、出典が思い出せないのでググりました。

ちはやぶる神の斎垣いがきも越えぬべし大宮人おほみやびとの見まくほしさに
[『伊勢物語』第71段]

ついでにこのたび初めて知りましたが、この和歌もさらに『万葉集』からの本歌取りだそうです。

道長はこの『伊勢物語』のものを本歌取りして──

ちはやぶる神の斎垣もこえぬべしこひしき人のみまくほしさに

もはや本歌取りというよりほぼパクリですね(笑)。のちに道長が詠むことになるあの有名な「この世をばわが世とぞ思ふ‥‥」でも分かる通り、彼は和歌がド下手ですから、気の利いた恋の一首を詠もうにもほぼパクリにせざるを得ないというのは、設定的には正しいといえます。

道長の和歌は、本歌の「大宮人」を「こひしき人」に差し替えただけでですが、性質はガラリと変わっています。

『伊勢物語』の本歌は、斎宮に仕える女房が、朝廷からの使いである「大宮人」(モデルはあのプレイボーイ在原業平)に色目を使ってみせた、というものです。一方、道長は自身が宮中に仕える「大宮人」ですので、逆にいわば業平の立場から詠んでいます。本歌の「神の斎垣」は文字通り斎宮の垣ですが、道長の歌では内裏の塀を暗喩します。ちょうどその直前の場面では、内裏に入った盗賊に道長は一矢を射たものの、塀を越えて逃げられ、追うすべもありませんでした。その悔しさから転じての「神の斎垣もこえぬべし」でもあるのでしょう。

そして、本歌取りで差し替えた文言がまた──。「こひしき人」ときましたね。恐らくこれは、古文の苦手な視聴者にも一瞬で恋の歌と分かるようにという、脚本の都合で選んだ言葉だと思われます。でもそれだけでは済みません。実際に平安時代の人がこの歌に「こひしき人」という言葉を入れるのは、あまりにも直截すぎる感じがします。普通なら例えば、筋書きを踏まえれば「舞ひし乙女」などにするところでしょう。そこへ「こひしき人」とぶっ込んでこられれば、駆け引きもなにもなしの直球、激しすぎる慕情の表現、まひろにとっては心臓一撃の一首です。

歌を贈られれば返歌をするのが礼儀というもの。特に、身分の高い人からの歌であればとりあえず形だけでも返しておかなければならないのは、平安貴族なら当然の心得です。本作ではどうなっているのか分かりませんが、実際であればこういうとき、道長の文を持ってきた使いが返事を持ち帰るために外で待っているはず。次回、まひろがどんな歌を返すのかが楽しみですが、やはりあの「めぐりあひて見しやそれとも‥‥」を流用する脚本になるような気がします。