とある市民団体が、戦争体験を聞く会を企画したという。戦時下を知る世代が語り部となり、当時のことを小学生に聞かせる会だ。そういう企画はこの時期の日本の風物詩みたいなものであるから、珍しくはない。ただ、その会ではちょっとしたことが問題視されたそうである。いわく、今回の語り部は焼夷弾が降る様子を「きれいだった」と表現するので、そのまま子供に聞かせていいのかどうか、と。

そんな話を私はちょいと聞きかじって、呆れてため息が出た。子供に「焼夷弾はきれいだった」と聞かせるのはまずいのだそうだ。アホか。

空襲の様子が「きれいだった」と表現されるのは珍しいことではない。まず、焼夷弾には落下姿勢を安定させるためのリボン、つまり凧の尾みたいな役をするものが付いていて、カプセルにまとまった焼夷弾が個々に分裂する際に用いられる火薬でそのリボンに火がつくことが多く、地上からは、まるで無数の星が光の尾を引きながら落ちてくるように見える。語り部はその様子を、遠目には「きれいだった」と表現することがよくある。また、焼夷弾が街に落ちて炸裂する様子も、遠目には「きれいだった」と語り部は表現することがある。戦争体験談を聞いたことがなくてピンとこない人は、試しにGoogleで「空襲 きれい」「焼夷弾 きれい」などを検索してみてほしい。

私の住んでいる辺りは戦時中はまだ農村だったため空襲などされなかったが、1945年(昭和20年)3月10日未明に大空襲を受けた東京下町はここからそう遠くはないので、あの夜は南の空が赤々として「きれいだった」と聞いている。また、朝になって東京へ向かってみたら、都県境の辺りからはもう焼夷弾の臭いがきつくて進めなかった、とも聞いている。

私は何が言いたいのかというと、要するに先に書いた通りだ。戦争体験談を子供に聞かせるに当たって「焼夷弾はきれいだった」という表現が不適切であるなどと、一体どこから物を言っているのかということである。戦争体験談を聞かせてほしいと言いながら、語られるべき戦争体験談の中身を恣意的に規定するなんて、何かおかしくないか。

戦争体験を語り継ぐことの意義なるものを神妙な顔をして言う〈平和を願うシミン〉たちは、戦時下の体験のうち悲惨な部分だけを抽出して語り継がせたいのである。焼夷弾はあくまでも恐ろしいものであるから、うっかり「きれい」などと描写されてはならないと考えているのだ。語り部が焼夷弾を「きれいだった」と描写したからといって、焼夷弾が恐ろしくないと言っているわけではないのに。

つまるところ〈平和を願うシミン〉たちは戦争体験者たちの生の声をそのまま聞こうという気などなく、自分たちが子供たちに聞かせたい話だけを語らせたいのである。もはや戦争体験者を人間として扱っていない。〈平和を願うシミン〉にとって都合のいい話だけを台本通りに語ってくれる人形であればいい、という発想でしかない。

こんな話を聞いたことがある。夏休みの課題で高齢者の方から戦争体験を聞いてこいと言われた小学生が、たまたま近くに住んでいた高齢男性に話を聞いた。その男性が言うには「疎開先で同居していた従姉が美人で、終戦後もずっと疎開していたかった」─。学童疎開の体験談といえば、親元を離れた疎開先で寂しくて夜は泣いている子がいたとか、疎開先でも満足に食うことはできなかったとか、土地のガキどもからいじめられたとか、そういう定番の話でなければ〈平和を願うシミン〉としては困る。2学期になって「ずっと疎開していたかった」の話を聞かされた担任教諭は、大変困惑したことだろう。ほかにも、夜に墓地で逢引していたら憲兵に見つかってこっぴどく怒られたとか、配給制ゆえに喫煙者のいない自分の家にも配られたたばこを喫煙者に売ったらいい小遣い稼ぎになった、なんていう話も聞いたことがある。

戦時下という異常な状況であっても、そこに生きる人たちがいる。したたかに生きる人たちがいる。その時代に幼年期、思春期、青年期、壮年期、熟年期を送った人たちがいる。戦地で戦った兵士もいれば、内地で空襲に遭った市民もいる。みんな人間だ。今まさに街を行き交う私たちと同じ人間だ。そして、だからこそ、そこに降り注いだ「きれいだった」焼夷弾は恐ろしいのである。

さて、戦時下を生きた人たちが自分と同じ人間であるということを、果たして分かっているのかという問いは、わが真宗大谷派に対しても投げかけたい。

私たちは過去において、大日本帝国の名の下に、世界の人々、とりわけアジア諸国の人たちに、言語に絶する惨禍をもたらし、佛法の名を借りて、将来ある青年たちを死地に赴かしめ、言いしれぬ苦難を強いたことを、深く懺悔するものであります。
[真宗大谷派「不戦決議」(1995)より。ただし「「非戦決議2015」を宗会において可決」 << 真宗大谷派東本願寺、による]

国のため天皇のため戦って死ねば浄土に往生できると説いた、いわゆる戦時教学についての、反省の文言である。言葉では「懺悔」と言っているが、こんなものは〈反省〉でしかない。この決議を可決した当時の宗議会・参議会の面々や、この決議を聖典のごとくあがめる僧侶・門徒たちには、以下の2点についてとことん自問してもらいたい。

  • 国のため天皇のため戦って死んだら、浄土に往生できないのか。また「進者往生極楽 退者無間地獄」の旗を掲げて戦って死んだら、浄土に往生できないのか。
  • もしあなたが戦時中の僧侶・門徒であったら、出征兵士たちに何を説くか。

あなたは、戦時下に生きた同朋たち、死んでいった同朋たちを、本当に自分と同じ人間だと思っているのか。自分が〈世界平和を願う正しい真宗門徒〉であらんがために、単に戦時教学を〈懺悔ネタ〉として出しにして消費しているだけではなのか。

私たちは、問われ続けている。