水着撮影会を中止に追い込んだことに対する批判は党派性によるものだ、と言う人が案の定ちらほらいる。すなわち、共産党が関わった件なのでやたら攻撃してくるだけだ、というものである。そういう側面が全く微塵もないとまで言うつもりはないが、概してその説は当たっていない。

タラレバの話をする。こういうのは逆を想像してみれば分かりやすい。つまり、埼玉県営公園のプールにおける水着撮影会の中止を求めたのが、もし共産党県議団ではなく例えば自民党県議団だったらどうなっていたか、である。間違いなく、このたび共産党が受けているのとは比べものにならないほどの激しい批判が、自民党に寄せられたであろう。築地や一ツ橋の紙が連日書き立て、それこそ永田町にも話が持ち込まれ、自民党たたきの一大祭りになっていただろう。

水着撮影会つぶしはどの政党が絡んでいても批判されるべきものだ。そして、むしろ今般の騒動はまだまだおとなしいとさえ思える。

さらに、自民党県議団なら批判にどう対応していたか、と想像してみよう。恐らくは「関係者多数が少なからぬ損害をこうむることになってしまったのは私たちの本意ではなく、私たちの措置が必ずしも適切ではない部分もあったかもしれない。これを反省材料とし、今後は議会で私たちの考えを粘り強く論じていきたい」ぐらいの〈事態への直接的な責任を認めないながら言葉を選んだ何となく謝罪っぽい声明〉を出しただろう。党本部も「国民の諸権利を侵害する結果を招くようなことは党の方針ではない」みたいな声明を出しただろう。

ところが、今の共産党県議団はどうしているかといえば、釈明するでもなく反論するでもなく、ダンマリを決め込み、事務局への電話にも出ないでひたすらほとぼりが冷めるのを待っているという。党中央も全く一言もこの件に触れないという徹底ぶりだ。自分たちの身勝手な正義に基づいて言いたい放題やりたい放題だが、それに対する外からの批判には一切聞く耳を持たないという、共産党の独善性があらわになっている。

水着撮影会騒動において共産党が批判されているのは、基本的には党派性によるものではなく、単純に党の言動が問題だらけだからである。かつて戦前戦中に国家から弾圧されたという〈輝かしい過去〉にしがみつき、いまだにヒガイシャのポジションのつもりでいるらしいが、自分たちが国民を弾圧することは厭わないし、自分たちが現に加害者となっていることを認めようとしない。どの党であろうと、こんなふうであればたたかれるのは当然ではないか。

共産党はこのたび、政治権力の刃をはっきり国民に向けてきた。ほとぼりが冷めれば終わるという話ではない。同党が過去に起こしたいくつもの血なまぐさい事件と同様、今回の一件も反国民的な事件として記憶され続け、折に触れ引き合いに出されるであろう。