山口達也が酒気帯び運転容疑で逮捕された件について、最近はどうも話がアルコール依存症が云々という方向に行っていて、激しい違和感を覚えている。

アルコール依存症は病気だ、社会は理解すべきだ、必要なのは治療だ──。まあ、そうだろう。肯定する。アルコール依存症は病気で、社会は理解すべきだし、必要なのは治療だ。

だが、そんなのは飲酒運転の件と関係がないではないか。罪に問われているのは、飲むのをやめられないことではなく、飲んでいるのに運転しさらに事故を起こしたということである。飲んでいるなら運転しなければいいだけの話だ。

飲酒運転は、やめようと決めれば、誰でも今すぐやめられる。その点がほかの犯罪とは違う。盗むのは悪いと思っていてもひもじさのあまり食べ物を盗んでしまったり、暴力はいけないと分かっていても怒りで血が頭に上って殴ってしまったり、そういう愚かさを持ち合わせているのが人間の悲しさである。しかし、飲酒運転はやめようと思えばやめられるものなので、そういうのとは全く話が違う。

繰り返すが、飲むのが悪いと言っているのではない。飲んで運転するのが悪いと言っているのだ。酒をやめられないなら、運転をやめればいいだけだ。

飲酒運転が原因の悲惨な事故が盛んに報じられ、罰則が厳しくされ、取り締まりが強化されてもなお、誰でも今すぐ簡単にやめられる飲酒運転をやめないような者に与えるべき居場所は、社会にない。