ある種の人々は、自分の願望にかなったケンリョク批判に使えそうなデータがなかなか出てこないと、自分が間違っているのではなくケンリョクが事実を隠蔽しているのだという妄想に逃げ込むものです。要するに自分に不都合な事実は受け容れられないのですね。

福島第一原発事故からのホーシャノー問題でもそういうのがウジャウジャいました。「東北ではホーシャノーでたくさんの人が死んでいるのに隠されているぅ!」とかね。

新型コロナウイルス禍に絡んでもそういうのが湧いてきています。

議論の中でラサール[石井]は、紙ベースでの報告は手間がかかりすぎることから「ものすごい(時間の)ロスになっているわけですよ。無駄な税金が使われている」と指摘。さらに「僕の噂では死者の数も10倍ぐらい間違えていたと、東京都は」と独自に仕入れたという情報を明かした。

政府の対策の不手際を責めたいので、どうかたくさんの死者が出てほしい、という願望が先に立っているのですよ。だから、報告漏れがあったためあとから集計値を直したというだけの話を、自由にふくらませつつ、どこかで耳にした与太話を織り混ぜて、実際には10倍の死者が出ているとかいう妄想を恥ずかしげもなく公共の電波を使って披露するのです。

日本の場合、死にまつわることはいろいろと法律がうるさいので、そう簡単にごまかしが利きませんし、間違いがあればきっちり直されるのですよ。それこそ医者から警察から役所からみんなが結託して、死亡診断書の偽造だの死体検案書の改竄だの報告書の破棄だのいろいろやらないと、隠蔽やらなにやらという話にはならないのです。

愚かな大衆が知らない驚愕の事実を自分は知っているという妄想は、凡庸な人間をとてもいい気持ちにさせてくれるものですが、その驚愕の事実とやらの中身は中学生の思いつきのレベルで、非現実的であることがほとんどです。