テクスト: 横山秀夫『クライマーズ・ハイ』 東京、文藝春秋、2006年。初刊は同社、2003年。

〔2018年9月14日(金)読了〕

10年前に映画化されたものを見た時、やや期待外れな作品でがっかりしたのだが、その感想を知人に語ったところ、「原作はすごくいいんですけどね」と言われたことが、ずっと頭の片隅に残っていて、10年越しでようやく原作を読むに至った。

わずか数ページを読んだところで、私は早くも思った。こいつを映画化するなんて無理だ、と。研ぎ澄まされた言葉とはこういうのをいうのだろう。

主人公の悠木は、群馬の地方紙、北関東新聞の記者である。40歳、社内的に微妙な立場にある彼が、ある日突然大任を負わされることになる。1985年8月12日夕、仕事を終えて趣味の登山へ向かおうとした彼は、緊急ニュースにつかまる。

《共同通信ニュース速報! 日航ジャンボ機が横田基地の北西数十キロの地点で姿を消しました! 繰り返します──》

悠木は足を止めた。横田基地の北西数十キロの地点。それがどの辺りになるのか、にわかにイメージできなかった。だが、遠くはない。

[42頁]

かくして悠木は「日航全権デスク」の任を負うことになる。

さて、本作は日航機墜落事故を追う新聞記者の姿を克明に描いてゆくものなのか、と思いきや、ページが進むにつれて、どうやらそうでないらしいことに読者は気づかされる。この小説を貫いているのは、新聞記者のあり方、人間の生きざま、そして「命の重さ」である。強引かつ勝手に大口の広告を落として紙面を編成してしまうなどというのは社会人として失格だし、世紀の独自ネタをみすみす逃してしまうなどというのは全権デスクとしての器ではないのだが、それでも、悠木の判断一つ一つが否定しがたい重みを持っているのだ。そこには〈人〉のすがたがある。

最後まで読み終えた時、私は不覚にも落涙しそうになった。ある意味で、人間の最も理想的で愚直な生き方の描かれた一冊だ。もっとも、それを実現するとなるとそう易しいことではないだろうが。

やはり──こいつを映画化するなんて無理だ。どんなに有能な映画監督であっても。