空爆という手法の是非については、ここでは論じないでおく。今私が問題にするのは、乙武洋匡氏の「テロを起こした犯行グループも含めて"国際社会"なのでは」という言説だ。

端的にいうと、ISILを“国”もしくはそれに準ずるものと誤認しているから、こういう間の抜けたことを言いだすのである。彼らが「イスラム国」と自称しているのを、親切にも報道各社がそのまま垂れ流すから、あれを“国”だと誤認し「国際社会」の一員などと言いだす乙武氏が現れるのだ。

北朝鮮のようにどんなにふざけた国であっても国である例はあるし、そんな国であっても嫌々ながら国際社会の一員と認めないわけにはいかないということはある。しかしながら、ISILはそもそも国ではない。なお、国(国家)の定義についてここで長々と綴る気はないので、関心のある方は各自調べてもらいたい。

たとえるなら、オウム真理教だ。それが強大化し、武装して日本の領土の一部、そう、富士山麓一帯あたりを不法占拠しているようなものである。彼らは支配地域において勝手に行政機構らしきものを敷き、自分たちの教条に従わない住民を「ポア」しまくり、さらに武力によって拡大しようとしている。彼らは勝手に「仏教国」を名のるが、それを国家承認する国は世界に一つもなく、世界の仏教徒たちは「お前らみたいな殺戮集団が『仏教』を名のるな。迷惑だ」と怒っている。その蛮行に手を焼く日本政府の要請に応じ、在日アメリカ軍などが「仏教国」拠点の富士山麓を空爆している。

これはもはや思想対立や宗教抗争などという次元の問題ではない。このような状況について、乙武氏は「『富士山麓で空爆を続ける米軍は許せない』という仏教国側の主張にはまったく耳を貸さずに国際社会から孤立させることが、本当に平和へと続く道なのだろうか」などと述べるのである。

繰り返すが、ここでは空爆という手法の是非については論じない。はっきりいうと、私は賛同してはいない。今ここで問題にしたいのはそんなことではなく、ISILなどは決して「国際社会」の一員たり得ないということである。なぜなら、ISILは“国”ではなく、暴力をほしいままにする過激派組織にすぎないからだ。この基本を押さえておかないと、乙武氏のように状況を見誤る。

銃を撃ちまくり殺戮をやめない犯罪者を捕らえるのに、警察官が丸腰で両手を挙げて対話を呼びかける必要はない。