本稿は、歴史的仮名遣ひ(正仮名、旧仮名)で書いてみよう。

聞法し始めた頃からずつと気になつてゐたことなのだが、わが真宗大谷派の勤行集(いはゆる赤本など)には歴史的仮名遣ひの間違ひがいくつもある。例へば「和讃」に「遇斯光のゆへなれば」[赤本、46頁ほか]といふ行があるが、これは正しくは「‥‥ゆゑなれば」である。「御文」にある「聖人の御まへにまいらんひとのなかにをひて」[同、62-63頁]は「‥‥まゐらんひとのなかにおいて」が正しい。

かかる誤記の事由について、私は次のやうに考へてゐた:

  1. 親鸞聖人や蓮如上人による原本に仮名遣ひの誤りがあつた。
  2. 勤行集の編集に携はつた人たちの頭が悪かつた。

このほど私は聞法17年にして初めてこの不審を法友たちに打ち明けたところ、上記 (1) であらうといふ意見をいただいた。私自身もどちらかといふと (1) の可能性のはうが高いと考へてゐた。加へて、写本の際に誤記されたのではといふ見解もあり、なるほどと思つた次第である。

親鸞聖人や蓮如上人の仮名遣ひに間違ひがあつたとしても、別にをかしいことではない。といふのも、仮名遣ひはもともと上代語の発音に近い形だつたのだが、平安時代に日本語の発音が大きく変化したために仮名遣ひが乱れてきて、平安末期すなはち親鸞聖人の時代にはかなりひどいことになつてゐたのである。その頃から仮名遣ひのルール(正字法)を整へようといふ動きも出てきたのだが、何せきちんとした言語学的研究に基づくルール作りではなかつたので、作られたルール自体が適正ではなかつた。

時代は下つて江戸時代となり、国学が生まれると、やうやく言語学的な検証が行はれ、しかるべき仮名遣ひが定められるやうになり、さらに明治時代に至つて完成を見ることとなる。現在、歴史的仮名遣ひといはれてゐるものはそれだ。ちなみに、学校の古文の教科書などに載つてゐる文章は、オリジナルそのままではなく、この歴史的仮名遣ひのルールによつて書き改められたものである(オリジナルには仮名遣ひの誤りが結構あるのだ)。

さて、勤行集は古文の教科書ではないから、親鸞聖人のお書きになつたものなど(の写しとして伝へられてゐるもの)に仮名遣ひの誤りがあつたとしても、それをそのまま使ふといふのは理解できないことではない。しかし、勤行集はそれこそ子供も見るものである。小さい頃から勤行集に慣れ親しんだ人が、のちに高校で古文の授業を受ける時に「あれ、何か違ふ」となるのは、あまり良いことではないと思ふ。やはり勤行集は適正な歴史的仮名遣ひに書き改めておくべきではあるまいか。だいたい、仮名遣ひが正しく表記されてゐなければ、意味が分からなくて辞書で引かうとするときに困るのだ。

「いや、それでもやはり聖教の言葉はオリジナルを維持して表記すべきだ」と言ふ人は多いかもしれない。ならば、すべて現代仮名遣ひに直すといふふざけた編集を施してしまつてゐる『真宗聖典』についての見解を問ひたい。