運動なんて全然しないのにいくら食っても太らないという恵まれた体質で、若い頃には平気で深夜にファミレスでハンバーグを食ったりしていても一キロも増えなかったものだけれども、やはり中年のオッサンとなれば年齢には抗えないものがあり、昨年からどうも代謝が悪くなってきた。とはいえ、あくまでもそれまでに比べれば若干悪くなったという程度だったので、間食をやめるとか夜中に菓子を食わないとか毎日ラジオ体操をするといった程度のことで体重は抑えることはでき、やはり恵まれた体質であった。

ところが、今年に入って1月中旬にたばこをやめたところ、その後3カ月で4キロも増えるという自分史上未曾有の状態に陥り、さすがにこれには焦らずにはいられなかった。もともと標準体重よりもかなり軽かったため、4キロ太ってもまだ標準体重未満であり、健康診断では血液検査その他も数値的には全く問題なしのA判定(笑)なのだが、やはり自分の体のことは自分がよく分かっている。人生初の60キロ超えはかなり膝にくるし、腹の周りに嫌な肉の付き方がしているのはよく分かる。

メタボリック・シンドローム傾向の知人の姿を思い出し、このままではあの人やあの人みたいになってしまうという危機感を覚え、手遅れになる前に健康管理をきちんとしなければと決意したのが5月頭のことである。

とりあえずは週1回程度のペースで屋内プールへ泳ぎに行くことにした。禁煙に成功したおかげで息も楽になり、快適に泳げるようになっている。泳ぎ始めるとちょっと欲が出てきて、プールに行く日以外も体を動かさなければという気になり、6月からは朝晩に軽くワークアウトしている。

無理せず自分のできる範囲で毎日継続的に体を動かすのは、心地よいし楽しい。この年齢になって初めてそんなことに気づいた。そして、体調は良好である。

同時に、学校の体育の授業ではこんな大事なことをちっとも教えてくれなかった、と思わずにはいられない。そう、学校の体育は根性、根性、また根性だ。

例えば、小学校の時にクラスにいた肥満児のことを思い出してほしい。校庭を1周タラタラと走っただけで死にそうな顔をしていたあの子を。持久走大会などで校庭を5周なんてときには、担任は彼を叱咤していたはずだ。「頑張れ。遅くてもいいから5周走りきれ。途中で歩いたら駄目だぞ」と。クラスメートたちも美しい友情から声援を贈ったりしていたかもしれない。最後までやり抜くこと、あきらめないこと、目標を達成する喜び、励まし合う仲間の大切さ──そういうものを教えるという効果がないとは言わない。しかし、その肥満児がそれによって運動することの心地よさや楽しさを知り、それから継続的に体を動かすことを覚えたかといえば、そんなことは決してないはずだ。運動なんかもう嫌だと、彼は内心泣き叫んでいたはずだ。

健康増進という観点からいえば、1周走るのさえ必死という子に無理やり5周走らせるより、毎日欠かさず継続的に1周走らせることのほうが大事だろう。もし調子がいいなら翌月から2周に増やしてもいいし、きつかったら1周に戻してもいい。とにかく継続する。そうすればその子には1年後に奇跡が起こる。

だが、学校ではそんな指導はしない。根性、根性、また根性である。学校の体育のせいで子供は体を動かすことが嫌になり、長期的にみればメタボリック・シンドロームの大人を増やすことになる。そう、学校の体育は体に悪いのである。

体育教育なんか廃止してしまったほうが、国民全般の健康のためにはよい。体育教師は全員クビにしたほうが国家国民のためである。