国家危機である東日本大震災、そして福島第一原発事故の際に、誤った情報を流した人は、反省をしなければならない。そしてそれを行わない限り、福島復興、放射性物質の安全管理、エネルギー政策などの諸問題に、口を出す資格はない。特に著名人の責任は重い。訂正、謝罪、本なら絶版などがない限り発言を許すべきではない。

もちろん福島事故で広がった恐怖はデマだけによるものではない。人間の心理的バイアスなど複雑な理由によっても成長し、社会現象と結びついて、なかなか是正できない状況になっている。また筆者は、法に基づかない私闘、私的制裁は好ましいことと思わない。社会の混乱を生むからだ。

しかし、今回に限っては、デマ拡散者の責任を合法的に追及し続けるべきであると思う。「呪い」をかけた人が自らの誤りを認める、もしくは社会的な制裁を受ければ、それに反応した多くの人が目を覚ますきっかけになるはずだ。デマを流した人に過去の発言を突きつけ、「なぜしたのか」と、責任を問うべきだ。

福島第一原発事故から6年がたった。

「1カ月後には東北で、東日本で、ホーシャノーでたおれる人が大勢出てくる」と“予言”したカツドーカたちがいた。1カ月たっても何も起こらなかった。

「3カ月後には東北で、東日本で、ホーシャノーでたおれる人が大勢出てくる」と“予言”したカツドーカたちがいた。3カ月たっても何も起こらなかった。

「半年後には東北で、東日本で、ホーシャノーでたおれる人が大勢出てくる」と“予言”したカツドーカたちがいた。半年たっても何も起こらなかった。

「5年後には東北で、東日本で、ホーシャノーでたおれる人が大勢出てくる」と“予言”したカツドーカたちがいた。5年たっても何も起こらなかった。

被曝が原因の白血病が発症するのは、1年半から2年後がピークである。2年たっても白血病は有意に増えなかった。

被曝が原因の甲状腺がんが発症するのは、4年から5年後がピークである。5年たっても甲状腺がんは有意に増えなかった。

「被曝を避けるよう用心するに越したことはない。何も起こらなかったら、そのときは何も起こらなくてよかったと安堵すればいいだけのことだ。むしろ先に安心しろと強迫してくる奴らのほうが怪しい」とカツドーカたちは言っていた。何年たっても何も起こらなかったが、彼らの口から「何も起こらなくてよかった」という安堵の言葉など出てこなかった。彼らは、自分たちの“啓蒙”が間違いだったと認めたらカツドーに支障をきたしてしまうため、「本当は東北で、東日本で、ホーシャノーでたおれる人が大勢出ているのだが、実態を政府が隠蔽している」などとデマを垂れ流した。

間違いは、間違いだと気づきながら間違いではないと言い張った時点で、〈間違い〉から〈嘘〉になる。そう、カツドーカは嘘つきなのである。

カツドーカたちは、折よく成立した特定秘密保護法の件に便乗し、被曝障害の情報が「特定秘密」として隠されるなどと調子づいた。特定秘密保護法そのものの是非についての議論はあるがそれは別として、その法律によって被曝障害の情報が隠されるなんてことはあり得ないというのはちゃんと法律の条文を読めば分かるはずなのだが、遺憾ながら何せカツドーカにはまともな頭がない。自分たちセーギノミカタの言うことに意を唱えてくるうるさい奴らに対しては「原発推進派」「東電の工作員」「政府にだまされる愚民」などとレッテルを貼ればいい、と思っていたのである。

原発事故から6年がたった。

パニックが許されるのは最初の3カ月だ。せいぜい半年で落ち着かなければならない。そして、必要なことを勉強するのは1年あれば足りる。「福島の海から蒸発したホーシャノーが、夏にはゲリラ豪雨になって東京に降ってくる!」などと(本人はかなり真面目に)心配していたような馬鹿でも、高校の物理を復習して放射性物質や放射線被曝についての基本的な理解に至るのに1年も必要としないはずである。さらに、被曝による健康被害などないことは、データをもとに合理的に考えれば最初から分かっていたが、実際になかったということを5年で確認できた。6年は十分すぎる猶予期間である。

原発事故から6年がたった。6年もたてば、小学校6年生も高校3年生である。ただの掛け算や割り算しかできなかった子が、微分・積分の問題を解くようになり、大学入試を受けているのである。それほどの年月が過ぎる間に何ひとつ学んでこなかったのだとすれば、それは学ばなかった者自身の非だ。

原発事故から6年がたった。嘘つきのカツドーカたちや彼らを信奉する機能的非識字者たちが、懇切丁寧な解説や対話という福利にあずかることのできた時代は、とっくに終わっている。6年という十分すぎる猶予期間があったのだ。「本当は東北で、東日本で、ホーシャノーでたおれる人が大勢出ているのだが、実態を政府が隠蔽している」などという使い古されたデマをなお吹聴する者が存在するのなら、彼らに対する寛容を私は打ち切る。もはや容赦しない。