昔の学生運動はさんざんに好き勝手に暴れ回ったあげく、警官隊との衝突で不運にして自分たちの側に1人の死者が出たら「官憲の虐殺」などと都合よく利用して騒いだものだ。ちなみに、時系列的には前後するが、その後の学生運動では火炎瓶やら硫酸やらが使われて、むしろ警官隊の側の死者および重軽傷者が少なくない。

自分たちは好き勝手に暴れているのに、ケンリョク側にちょっと瑕疵があったとたんに鬼の首を取ったかのように嬉々として騒ぐカツドーカの根性は、驚くべきことに、半世紀以上たった今でも変わっていないようである。何やら沖縄で1人の機動隊員が放った「土人」という一言をとらえて大騒ぎだ。

もちろん、沖縄の歴史と土地柄を考えれば、沖縄の人々とりわけ高齢の方々が「土人」という言葉に不快感を覚えるであろうことは理解できるし、どんなに挑発されようが腹が立とうが機動隊員が民衆に対してそんな暴言を吐いていいわけがないということは大前提だ。その点は当該の機動隊員の瑕疵である。権力側と民衆側を同列に評価してはいけないのは当然だ。けれども、それを踏まえてもなお「お前らはふだん言いたい放題やりたい放題のくせに、そんなくだらない揚げ足取りなんかしてんじゃねえよ」というのがカツドーカに対する大方の普通の感想ではあるまいか。何せ彼らのふだんの言動はひどいのだ。

どうもこの件はいわゆる沖縄差別と結びつけて論じられがちなので、本稿における趣旨を今一度確認しておくが、私はあくまでもカツドーカの暴力的な言動について述べているのであって、沖縄の人々全般について言っているのではない。

自分たちはセーギノミカタだから何を言っても何をやってもよく、ケンリョク側の過ちは何一つとして許さないというカツドーカの発想は、自分らの気に入らない者たちを人間扱いしないという思考回路によるものであろう。はっきりいって土人以下である。そんなカツドーカたちがヘーワだのと口にするとは片腹痛い。