わが真宗大谷派の宗議会・参議会においては、1995年の「不戦決議」を踏まえて、昨2015年に「非戦決議2015」を可決している。

「私たちは過去において、大日本帝国の名の下に、世界の人々、とりわけアジア諸国の人たちに、言語に絶する惨禍をもたらし、佛法の名を借りて、将来ある青年たちを死地に赴かしめ、言いしれぬ苦難を強いたことを、深く懺悔するものであります」──などとしおらしいことを言うカツドーカの僧侶・門徒が同じ口で、阿弥陀如来の名のもとに戦をした一向一揆のことを誇らしく語ったりするのを、昔からネットでたまに見かけるし、「不戦決議」だの「非戦決議」だのというのはしょせんその程度のものだと私は思っている。

“戦争を起こさない善人であるわれわれ正しい仏教徒”の言葉でしかないのである。こんな底の浅いことを言うのなら、わざわざ真宗教団の名を冠する必要はない。中学生に戦争と平和について作文を書かせておけばいい。

強いていうなら、それらの決議には「ぼくたちはせんそうをはんせいしました」という一種の免罪符もどきの意味ぐらいはあるのかもしれないけれど。