一昨日のNHK大河ドラマ「光る君へ」第14回「星落ちてなお」には、どうも釈然としないものがありました。というか、前回から続いていることなのですが、まひろ(紫式部)が卑賤の娘に字を教えるという部分です。あの時代、貴族が下々の者に憐れみをかけることはあったとしても、字を教えようという発想はまずなかったでしょうし、下級とはいえ貴族の娘が卑賤の者とともに地面に字を書くなどさすがにあり得ない話です。そのことについては、ききょう(清少納言)の反応のほうが普通といえるでしょう。寺子屋あるいはその前身となる庶民の子供向けの教育施設が現れるのは、もっと時代が下ってから、たぶん中世以降のことです。そもそも、あの時代のひらがなはまだ整った形ではありませんから、あんなふうに教えられるものではありません。

今回は久々にききょうが登場しました。まひろとききょうが数年ぶりに再会する場となったのは、藤原道隆の主催する和歌の会でした。そこでどこぞの媛が書いてみせた和歌が──

あきかせのうち
ふくことにたかさこ
のをのへのしか
のなかぬひそ
なき

まひろが朗詠してくれるのを聞きながらなので、判読できましたよ。何となく聞き覚えがあったため、また『古今集』あたりから引いてきたのかと思いきや、検索してみたら『拾遺集』でしたね。

秋風のうち吹くごとに高砂の尾上の鹿の鳴かぬ日ぞなき
[『拾遺集』より、よみ人しらず]

「威厳に満ちながら秋にふさわしい涼やかな響きの歌」と評されていましたが、よくある手法として「秋」を「飽き」に掛け、「鳴かぬ」を「泣かぬ」に掛けているとみれば、悲しい恋の歌とも解することができるのですよね。誰がどういう状況で詠んだ歌なのか分からないので、そこのところは想像で楽しむ余地があります。まあ、詠み人知らずで、10年後か20年後ぐらいに『拾遺集』に収められることになる歌ですから、案外こんなタイミングのこんな歌会で詠まれたものだったのかもしれません。

今回のききょうは、中宮定子のもとへの宮仕えの前段といったところで、次回予告ではまさしく定子との出会いを思わせる画がありました。この先ききょうは定子のサロンで黄金期を迎える一方、まひろは越前へ行ったり帰京して結婚したり子供を産んだり夫と死別したりと波乱の時を送ることになりますから、これから別々の道を行くことになる平安時代の二大女流作家の旅立ち前のひとときといった感じの回でした。

一方、藤原道長はというとまだ力もなく、なかなか己の理想とする政治を実践するには至らず苛立っているようですが、ここはまあ前回の藤原実資が言っていたように精進の日々です。ちなみに、道長が政治の実権を握るようになるより少し前に実資が検非違使別当になるらしいですから、本作で目下の道長が盛んに検非違使庁改革を建議しているのも伏線といえるでしょうね。