法律学の参考書において憲法問題の例として水着撮影会騒動が取り上げられているということは、この件に対する評価が法律の専門家の間で大きく変わらないと見込まれるということであろう。共産党の振る舞いは、れっきとした憲法問題として法律学の参考書に載るほどのものである、ということだ。

にもかかわらず、共産党は「反省」の色など微塵も見せていない。曲がりなりにも公党の立場にありながら、憲法違反が明白な行為を平気でやらかしておいて反省の弁を一言も述べないとは、まさしく共産党が国民の人権を踏みにじり生命と財産を脅かす、国家と国民の敵にほかならないことを、自ら表現しているといえる。反論があるなら聞いてやるが、どうせ反論できまい。

近頃の〈エッフェル松川〉や〈ブライダルまさこ〉の話題でも分かるように、自民党であれば、党所属の政治家がやらかしたときには、党内からも批判の声が出てくるというものである。別に自民党をほめそやす気もないが、少なくとも公党として最低限のわきまえはあると言ってよかろう。これは他党も大方そうだと思う。しかるに共産党はといえば、水着撮影会騒動における同党埼玉県議団のやらかしに対する批判の声など、党内からはただの一言も聞こえてこない。同志を大っぴらに批判したら除名されるような党なので、誰も怖くて物が言えないのかもしれないが、それこそまさしく同党の独裁体質と恐怖政治指向の表れというほかない。

水着撮影会騒動はあくまでも共産党埼玉県議団のやらかしであって、共産党としての不祥事ではない、という言い訳は通らない。もしそうなのであれば、党中央がそう言えばいいだけのことであるが、党としては何の見解表明もしていない。自民党など他党であればこういう場合、水着撮影会をつぶすのは党としての意向ではないと公式に発表したり、問題を起こした党員・議員に対して厳重注意を行ったりするものであるが、そういうごく当たり前の対応を共産党は見せない。公党でありながらこんな異常な政党は共産党ぐらいのものではなかろうか。

水着撮影会騒動における共産党の振る舞い、政治的権力・影響力の刃をはっきり国民に向けてくるという暴挙は、時がたてば風化するものではない。何のケリもつけないままにやり過ごせると思うな。