今、似非リベラル・似非左派などのハンタイ屋たちのトレンドとなっているものの一つが〈安倍元首相国葬反対〉というやつですが、その絡みで先日来おかしなものを見かけています。

〈服喪〉という語を〈喪服〉と勘違いしているのがいて、Twitterなどで「喪服強制反対! 私は絶対に着ないぞ!」とか元気に主張しているのですよ。私は最初、冗談かと思ったのですが、どうも本当に〈服喪〉を〈喪服〉だと思ってそんなふうに騒いでいるらしいのですよね。まあ、どっちにしても強制されないことは明らかなので騒ぐだけ間抜けなのですが。

それだけではありません。22日朝、首相官邸前で行われた国葬反対デモの参加者の中に「国葬上めろ」という意味不明な文言を書いたプラカードを掲げる人がいたのです。これも私は最初、Twitterなどでよく出回るコラ画像のたぐいかと思ったのですが、どうも出どころが東京新聞の写真というガチものなのですよね。これは往年の「日本は反省しる!」以来の傑作といっていいかもしれません。

これらの事象は象徴的です。彼らの知的水準や、彼らの論が聞くに価しない中身であることを、実に象徴的に表しています。

なぜこんなふうになってしまうのかというと、簡単な話です。

まず、彼ら似非リベラル・似非左派のハンタイ屋たちの信条として「とにかく反対したい。反対するのは正義である」という大前提があります。「造反有理」みたいなものでしょうか。そして「自分たちがあれこれ必死にハンタイと喚き続けても最後まで打ち倒せなかった安倍が憎い」という感情があります。従って「安倍国葬反対」ということが導き出されるのですが、反対する理由はあとから考えます(彼らはいつもそうです)。ない頭で何とか考えるので、結局「喪服強制反対」とか「国葬上めろ」とかアレな感じになるのです。