今日は所属寺で花まつりの行事が行われた。といっても、ちゃんとした灌仏などはなく、ほとんど“お楽しみ会”だ。これは、今をさかのぼること12年前に住職が、聞法聞法と堅苦しいことばかり言わずに年1回ぐらいはただ楽しむだけのイベントがあってもいいのでは、と始めたものである。ただし、そこで私が「仮にも降誕会なのだから、3分でいいから法話らしきものを入れるべきだ」と余計なことを言ってしまったために、短時間の法話という余計なものまで付いてしまっている次第だ。

さて、今日の法話のテーマは、スジャータであった。これは実に珍しい。私は聞法生活を始めて18年になるが、スジャータをテーマにした法話はどの講師からも一度もうかがったことがない。法話の中でチラッとスジャータが言及されたことは一度や二度あったかもしれないが、スジャータそのものをテーマにした話というのは覚えがない。

スジャータとは、仏教クラスタにとっては今さら説明の必要もなかろうが、その他の人々のために簡単に説明しておこう。

断食苦行の末に餓死寸前だった釈尊に、一人の少女が乳粥を供養した。彼女の名がスジャータである。釈尊はその一杯の乳粥によって死をお免れになった。

と聞けば、スジャータは良いことをしたかのように思うかもしれないが、そう単純な話ではない。言ってしまえば、釈尊の断食苦行はスジャータのせいで台無しになってしまったのである。実際、釈尊の修行仲間たちは彼を「堕落した」とみなして離れていってしまった。

たとえるならば(かなり品の悪いたとえで恐縮だが)何かの願掛けのためにセックス断ちをしている男の所へ、心優しい美少女が「セックスできないなんてかわいそう」と裸になって抱かれに来たようなものである。意識が朦朧としていた男はつい彼女を抱いてしまい、願掛けしていた神様からも見放されるというわけだ。一応、住職の名誉のために断っておくが、このたとえ話は住職によるものではなく、今私がここで思いついたものである。

もうちょっときれいな比喩を使おう。マラソン選手が競技中に突然体調の不調をきたし、フラフラになって倒れかかったものの、ゴールが近いので何とか自力で完走だけは果たそうと必死になっているところを、沿道の観衆が「大変だ。彼はあのままでは死んでしまう」と手を貸してしまったために、その選手は競技失格になってしまった、というような話である。え、最初からこういう品のいいたとえをしろってか。

話を戻そう。スジャータの乳粥によって一命をお取り留めになった釈尊は、体力を回復されたのちに、大樹のもとで最後の決死の瞑想に挑まれ、そこでついにさとりを開かれた。時に12月8日の朝のことであったと伝えられる。その地は現在ブッダガヤと呼ばれ、釈尊がさとりの時に瞑想されていた大樹はそれにちなんで菩提樹と呼ばれる。スジャータが住んでいたと伝えられる村も当然ブッダガヤの近くである。

スジャータの一件が仏教の文脈において示唆するのは、まず、中庸ということである。ただ享楽の限りを尽くすような生き方をしていては真理など見えないのはもちろんのこと、逆に自分をひたすら苦しめ痛めつけることも真理への道にはつながらない。

そしてもう一つは、いのちは自分の思いのままにはならないということである。釈尊はご自身の思い通りにはできなかった。真理を求める苦行の果てに餓死するという“修行者としての名誉”も叶わなかったのである。そして、さとりを開くためのいのちは、苦行を台無しにしたスジャータの一杯の乳粥によってつながれた。言ってみれば、自分のやってきたことは全く無駄で、スジャータのおかげで真理に至ることが叶ったのである。

しかして、そのスジャータとは何者なのか。何のことはない、彼女はただ餓死しかけている一人の男を見かけて、別に何も難しいことは考えずに「あら大変。食べ物をあげなくちゃ」と思いその通りに実践した、村の少女でしかない。