政府は昨日、来月からの新元号が「令和」に決定されたと発表した。

「政府の命で平に、などとはけしからん」とか言っているアホどもは放置しておこう。「令」は、説明されている通り「令月」からだし、意味合いとしては「令嬢」「令息」などと同じく普通に美称だ。

さて、史上初めて漢籍ではなく和書を出典とする元号である点が大きく取り沙汰されているが、私としては単に出典が和書であることよりも、むしろ由来となる文言の選び方に驚いている。

平成の由来は「地平天成」[地平らかにして天成る](『書経』)と、「内平外成」[内平らかにして外成る](『史記』)である。昭和は「百姓昭明、協和万邦」[百姓昭明にして万邦を協和す](『書経』)であった。このように、これまでの元号というのは、政治の理想としての世の安寧や繁栄などを祈念する意味があり、その由来も為政のあり方を説く儒教的要素の強い漢籍からの文言、いってみれば堅苦しい言葉を持ってきている。長門で白い雉が見つかって朝廷に献上されたから「白雉」とか、秩父で銅が掘り出されて朝廷に献上された時には「和銅」とかいうふうに〈縁起物〉的な元号も作られてはいるが、その場合でも、一応形の上では難しい漢籍を出典として、為政のあり方を説く堅苦しい言葉をこじつけてきた。

しかるに、このたびの令和の出典はというと──

于時初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。
時に初春の令月、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす。
時は早春の麗しき二月、空気は良く風は穏やかで、梅は鏡の前の美女の白粉のごとく花開き、蘭はその装いを飾ってさらなる香りを振る舞う。
[『万葉集』巻第五]

何と、特に政治的理念を伴っているとは思われない、ただ早春の自然を詠んだ文である。世の安寧や繁栄などを祈念しているのではなく、美しい梅や蘭を愛でている文言である。漢籍でいうなら、例えば王維「雑詩」から「已見寒梅発 復聞啼鳥声」を引いてくるようなものだろう。

令和という新元号は、初めて和書を出典として作られたという点よりも、純粋に文芸的な文言に由来する作であるという点において、より大きな意味を持つのではなかろうか。もっとも、そのこと自体が、かつて朝廷の命により帝や貴族の歌から庶民の歌まで恋歌やらも含めて『万葉集』を編纂したこの国らしい元号のあり方なのかもしれない。果たしてこれは〈21世紀の国風文化〉となるのだろうか。