武内英樹監督『翔んで埼玉』 日本、2019年

〔2019年2月22日(金)鑑賞〕

日本史の表舞台に目立って出てこない埼玉史が、映画の題材になることは少なく、私がすぐに思いつくのも『草の乱』(2004)や『のぼうの城』(2012)ぐらいだ。ところが、今年はそこに新たな作品が加わることになった。

『翔んで埼玉』である。

本作は、埼玉の近現代史を膨大な量の史料により考察し、可能な限り史実にのっとって映像化する試みとして、企画段階から話題になっていた。私は実際に鑑賞してみて、そうした前評判の通りの、いやそれ以上の傑作、本格的な歴史映画だという感想を抱いた次第である。まさに埼玉映画の金字塔が打ち建てられたと言っても過言ではない。

埼玉県人で私ぐらいの世代の者であれば、本作に出てくる埼玉の情景は記憶に鮮明に残っているだろう。例えば、ひと昔前までは埼玉と東京の間に関所があり、埼玉県人は通行手形がなければ東京への入境が許されなかった。私は埼玉県人とはいっても東京系入植民の家庭に生まれ育ったので、子供の頃から自由に埼玉と東京を往来できていたのだが、東京に行くことができない埼玉土人の子供たちからはいつもうらやましがられていた。

川口の関所では、東京籍を持つ幼い子供が埼玉籍しか持たない親と引き離されるという悲劇を、実際に目撃したこともある。かなりさかのぼって明治期にもよくあった出来事のようで、有名な歌人が汽車で群馬へ旅行する際にそういった光景を目にし、こんな短歌を残している:

赤羽や母とわらべが荒川の関を越えむと身も裂かれつつ
[若山枚水『梅の声』]

東京側の境界の駅で行われていた検問の様子を詠んだこの短歌は、高校の国語の教科書にも載っているから、見たことのある人は多いはずだ。

また、作中後半の圧巻である「流山橋の戦い」の時のことも、私はよく覚えている。千葉軍が攻めてくるという噂が巷を駆け巡り、埼玉南東部の住民は慌てて県境の江戸川から遠くのほうへ避難すべく西へ向かっていて、私と家族もその渦中にいた。その折に見かけたのが、難民の流れに逆行して東の県境へ向かう者たち──埼玉解放戦線の義勇兵たちだった。彼らの掲げる幟旗に踊っていた「山田うどん」「草加せんべい」「狭山茶」「深谷ねぎ」などなどの文字の壮麗さは、今でも私のまぶたの裏に焼き付いている。

かつて長らく続いていた埼玉の暗黒時代、その埼玉の解放のために戦った先人たちの労苦を、これからも語り継いでゆくことは、今の埼玉に生きるわれわれの義務であろう。そして、この映画は実に優れた歴史の語り部の具となるに違いない。

推奨度: 100点(/100)