東路の道の果てよりも

二十九. 東山へ移る

かへりて、ゆふ日けざやかにさしたるに、みやこの方ものこりなく見やらるるに、このしづくににごる人は、京にかへるとて、心くるしげに思ひて
更新履歴: 平成20年2月3日

原文

四月つごもりがた、さるべきゆゑありて、東山なるところへうつろふ。

みちのほど、田の、なはしろ水まかせたるも、うゑたるも、なにとなくあをみをかしう見えわたりたる。

山のかげくらう、まへちかう見えて、心ぼそくあはれなるゆふぐれ、くひないみじくなく。

たたくともたれかくひなのくれぬるに山ぢをふかくたづねてはこむ

霊山ちかき所なれば、まうでてをがみたてまつるに、いとくるしければ、山でらなるいし井によりて、手にむすびつつのみて、

「この水のあかずおぼゆるかな」

といふ人のあるに、

おく山のいしまの水をむすびあげてあかぬものとはいまのみやしる

といひたれば、水のむ人、

山の井のしづくににごる水よりもこは猶あかぬ心地こそすれ

かへりて、ゆふ日けざやかにさしたるに、みやこの方ものこりなく見やらるるに、このしづくににごる人は、京にかへるとて、心くるしげに思ひて、またつとめて、

山のはにいり日のかげはいりはてて心ぼそくぞながめやられし

現代語訳

4月の終わりごろ、しかるべき事情があって、東山という所へ移り住む。

行く道の途中、苗代水を引いた田も、田植えの済んだ所も、何となく青みが広がって、風情のある景色が見渡されること。

移り住んだ家からは、暗い山の姿が目の前近くに見える。物悲しく味わいのある夕暮れに、水鶏が盛んに鳴く。

水鶏の鳴き声が戸をたたくように聞こえようとも、誰がだまされようか。夕暮れた山道深く、誰が訪れてくるものだろうか。

霊山が近い所なので、参拝して拝み申す。とても疲れている時に、山寺にある岩の中の湧き水に立ち寄って、手にすくって飲む。

「この水は、いくら飲んでも飲み飽きない気がすることですなぁ」

と言う人がいる。

奥山の岩の間の水をすくい上げて、飲み飽きないほどのものだと、今気づいたのでしょうか。「むすぶ手のしづくににごる山の井のあかでも人にわかれぬるかな」とは、紀貫之の有名な歌ですよ。

と私が言うと、水を飲む人は、

あの歌に詠まれる「山の井の雫に濁る水」よりも、この水はもっと飲み飽きない気がするのです。

帰宅すると、夕日が明るくさしている頃で、都の方角もはっきりと眺められるようになっている。

夕日に染められた都を見やりながら、「雫に濁る水」の人のことを思う。彼が京都へ帰ると言った時は、別れがつらそうだった。

その翌日、彼から歌が届いた。

西山に夕日はすっかり沈み果てて、あなたの住む東山を物悲しい思いで眺めずにはいられませんでした。

いささかしるす

「しづくににごる人」については、取り方がいろいろあるようですが、ここはやはり、上総の君の淡い初恋の相手と解しておくのがいいと思います。