東路の道の果てよりも

二十八. 父の任官はかなわず

あかつきをなににまちけむ思ふ事なるともきかぬかねのおとゆゑ
更新履歴: 平成20年2月3日

原文

かへるとし、む月のつかさめしに、おやのよろこびすべきことありしに、かひなきつとめて、おなじ心におもふべき人のもとより、

「さりともと思ひつつ、あくるをまちつる心もとなさ」

といひて、

あくるまつかねのこゑにもゆめさめて秋のもも夜の心地せしかな

といひたる返りごとに、

あかつきをなににまちけむ思ふ事なるともきかぬかねのおとゆゑ

現代語訳

年は改まり、わたしは18歳になった。

1月の除目に、父が国司任官を喜ぶはずだったのに、当てがはずれてしまった。

夜が明けて、同じ気持ちで父の任官を望んでいるはずの人のもとから、

「これまでのことはともかく、このたびこそはと思いながら、除目の結果が発表される夜明けを待つもどかしさといったら」

と言って、

夜明けを待ちながら、鐘の音に夢も覚めて、秋の百夜を過ごしてきた心地がすることです。

と詠んできた。その返事にこう詠んだ。

わたしたちはどうして暁を待っていたのでしょうか。思いがかなったことを知らせてくれる鐘の音でもないのに。

いささかしるす

受領階級にとって、除目(国司の選定)は最大の関心事でした。

「一. 旅立ち」にある通り、菅原孝標はかつて上総介に任官されたことがあります。今度こそは、上総のような僻地ではなく、もうちょっとマシな国の、できれば介ではなく守に任官されれば、と菅原家の人々は願っているのです。

まともな官職が得られなくても、カネだけはいくらでもあるから、一生遊んで暮らせるというのが受領階級なのですが、それでも下級貴族の地位に甘んじてはいられないのですね。富の次に求めるのは地位と名誉です。

清少納言『枕草子』の第22段「すさまじきもの」には、「除目に司得ぬ人の家。今年はかならず‥‥」云々と、まさに菅原家で見られたであろう光景が、詳しく描写されています。