
その五月のついたちに、あねなる人、こうみてなくなりぬ。
よそのことだに、をさなくよりいみじくあはれと思ひわたるに、ましていはむ方なくあはれかなしとおもひなげかる。
ははなどはみな、なくなりたる方にあるに、かたみにとまりたるをさなき人びとを、左右にふせたるに、あれたるいたやのひまより月のもりきて、ちごのかほにあたりたるが、いとゆゆしくおぼゆれば、そでをうちおほひて、いまひとりをもかきよせて、思ふぞいみじきや。
そのほどすぎて、しぞくなる人の許より、
「むかしの人の、かならずもとめておこせよとありしかば、もとめしに、そのをりはえ見いでずなりにしを、いましも人のおこせたるが、あはれにかなしきこと」
とて、かばねたづぬる宮といふ物がたりおこせたり。
まことにぞあはれなるや。
返りごとに、
うづもれぬかばねをなににたづねけむこけのしたには身こそなりけれ
17歳になった。
5月の初め、姉が出産後に亡くなった。
乳母や大納言のお嬢さまのことさえ、幼い頃からとても悲しいと思い続けているのに、まして肉親のこととあっては、言いようもなく切に悲しいと嘆かずにいられない。
母などはみな、亡くなった姉の安置されている部屋にいる。彼女の忘れ形見となった幼子たちを、わたしが自分の左右に寝かせていると、荒れた板葺き屋根の隙間から月光が漏れ差し込んできて、幼子の顔に当たっている。それがとても不吉に思われるので、子どもを袖で覆い、もう一人も抱き寄せて、考えるといったら不吉なことばかりだ。
葬儀のあれこれなども過ぎた頃、親族の人のもとから、
「亡き人が、この物語を必ず探してよこしてくれと言っていたので、探したのですが、その折は見つけることができないままになってしまっていたのです。それを、今になってから知人がよこしてきたのが、しみじみと悲しいことです」
と言って、『かばねたづぬる宮』という物語を届けてくれた。実に悲しいことではないか。
その返事に、こう詠んだ。
埋もれず残っていた『かばねたづぬる宮』を、姉はなぜ探していたのでしょうか。苔の下に埋もれるのは、屍を探す皇子の物語ではなく、彼女自身の屍となったことです。
いささかしるす
『かばねたづぬる宮』という物語は散逸しています。他の文献によると、書名の通り、恋人の亡骸を探し求める皇子の悲恋物語だったようです。