
そのかへる年、四月の夜中ばかりに火のことありて、大納言殿のひめぎみと思ひかしづきしねこもやけぬ。
「大納言殿のひめぎみ」
とよびしかば、ききしりがほになきてあゆみきなどせしかば、ててなりし人も、
「めづらかにあはれなる事也。大納言に申さむ」
などありしほどに、いみじうあはれに、くちをしくおぼゆ。
ひろびろとものふかきみ山のやうにはありながら、花紅葉のをりは、よもの山辺もなにならぬを見ならひたるに、たとしへなくせばき所の、庭のほどもなく、木などもなきに、いと心うきに、むかひなる所に、むめ、こうばいなどさきみだれて、風につけてかがえくるにつけても、すみなれしふるさとかぎりなく思ひいでらる。
にほひくるとなりの風を身にしめてありしのきばのむめぞこひしき
年は改まって、16歳になった。
4月の夜半ごろに火事があって、大納言のお嬢さまと思って世話をした猫も焼け死んだ。
「大納言殿のお嬢さま」
と呼ぶと、言葉を分かっているような顔で鳴いて、歩み寄ってきたりしたから、父も、
「これは珍しい、感動的なことだ。大納言に申し上げよう」
などと言っていた折のことだった。とても悲しく残念に思われてならない。
焼失した家は、広々とした深い山の中のようではありながら、花や紅葉の折には、都の四方の山辺がつまらなく思えるほどの素敵な景色を、見慣れて親しんだ所だった。それが、今度の住まいときたら比べようもないほど狭い所で、庭の広さもなく、木などもないから、とてもつまらない。
向かいの家に、梅、紅梅などが咲き乱れて、風に乗って香りが運ばれてくるにつけても、住み慣れた元の家がいつまでも思い出される。
香りを運んでくる隣からの風をこの身に受けていると、昔の軒端の梅が恋しい。