東路の道の果てよりも

二十. 夢告

あまてる御神をねんじませ
更新履歴: 平成20年1月3日

原文

物がたりの事を、ひるはひぐらし思ひつづけ、よるはめのさめたるかぎりはこれをのみ心にかけたるに、夢に見ゆるやう、

「このごろ皇太后宮の一品の宮の御れうに、六角堂にやり水をなむつくる」

といふ人あるを、

「そはいかに」

ととへば、

「あまてる御神をねんじませ」

といふと見て、人にもかたらず、なにともおもはでやみぬる、いといふかひなし。

春ごとに、この一品の宮をながめやりつつ、

さくとまちちりぬとなげく春はただわがやどがほに花を見るかな

現代語訳

物語のことを、昼は日暮らし思い続け、夜は目の覚めている限りそのことばかりを心にかけていると、夢に人が現れて、

「近ごろ、皇太后宮の姫宮であられる一品の宮[禎子内親王]の御用で、六角堂の庭に小川を造っています」

と言う。

「それはどのような訳で?」

と尋ねると、

「あなたも恋愛小説のことばかり考えていないで、天照大御神をお念じなさい」

と言う。この夢のことを人にも語らず、何とも思わないで済ませてしまったのは、今思えばとてもふがいない。

そうして15歳の春が来ると、この一品の宮の邸を眺めながら、

桜が咲くのを待ち、桜が散ってしまったと嘆く春には、まるで我が家のものであるかのように、その邸の桜を見るものよ。