
物がたりの事を、ひるはひぐらし思ひつづけ、よるはめのさめたるかぎりはこれをのみ心にかけたるに、夢に見ゆるやう、
「このごろ皇太后宮の一品の宮の御れうに、六角堂にやり水をなむつくる」
といふ人あるを、
「そはいかに」
ととへば、
「あまてる御神をねんじませ」
といふと見て、人にもかたらず、なにともおもはでやみぬる、いといふかひなし。
春ごとに、この一品の宮をながめやりつつ、
さくとまちちりぬとなげく春はただわがやどがほに花を見るかな
物語のことを、昼は日暮らし思い続け、夜は目の覚めている限りそのことばかりを心にかけていると、夢に人が現れて、
「近ごろ、皇太后宮の姫宮であられる一品の宮[禎子内親王]の御用で、六角堂の庭に小川を造っています」
と言う。
「それはどのような訳で?」
と尋ねると、
「あなたも恋愛小説のことばかり考えていないで、天照大御神をお念じなさい」
と言う。この夢のことを人にも語らず、何とも思わないで済ませてしまったのは、今思えばとてもふがいない。
そうして15歳の春が来ると、この一品の宮の邸を眺めながら、
桜が咲くのを待ち、桜が散ってしまったと嘆く春には、まるで我が家のものであるかのように、その邸の桜を見るものよ。