東路の道の果てよりも

十三. 旅の終わり

いとくらくなりて、三条の宮のにしなる所につきぬ。
更新履歴: 平成20年1月3日

原文

あはづにとどまりて、しはすの二日、京にいる。

くらくいきつくべくと、さるの時許にたちてゆけば、関ちかくなりて、山づらにかりそめなるきりかけといふ物したるかみより、丈六の仏のいまだあらづくりにおはするが、かほばかり見やられたり。

あはれに人はなれて、いづこともなくておはするほとけかなと、うち見やりてすぎぬ。

ここらのくにぐにをすぎぬるに、するがのきよみが関と、逢坂の関とばかりはなかりけり。

いとくらくなりて、三条の宮のにしなる所につきぬ。

現代語訳

粟津にとどまってから、12月2日、京都に入る。

みな旅でほこりまみれということもあり、明るいうちに都の大路を通ったりするのもはばかられる。都には暗くなってから到着するようにしようということで、午後4時ごろに粟津を発った。

逢坂の関が近くなると、山沿いに一時しのぎの衝立のような塀で囲ってある所があった。塀の上から、まだ製作中で粗造りであられる丈六の仏の、顔だけが眺め見えた。

寂しげに人里を離れて、所在なさそうにしていらっしゃる仏よ。そのお顔を眺めて通り過ぎた。

これだけ多くの国々を通り過ぎてきたが、駿河の清見が関と、この逢坂の関ほど心に残る所はなかったものだ。

とても暗くなってから、三条の宮[脩子内親王]の邸の西にある我が家に到着した。

いささかしるす

京都での住まいである「三条の宮のにしなる所」は、かつて三条上皇の院であった邸と考えられます。父・孝標はかなりの豪邸を持っていたことになります。受領階級は都の貴族社会での地位こそ低いものの、地方にいる間に私腹を肥やすことができたので、カネだけはいくらでもありました。