東路の道の果てよりも

十一. 三河、尾張

あらしこそふきこざりけれみやぢ山まだもみぢばのちらでのこれる
更新履歴: 平成20年1月3日

原文

それよりかみは、ゐのはなといふさかの、えもいはずわびしきをのぼりぬれば、みかはのくにのたかしのはまといふ。

やつはしは名のみして、はしの方もなく、なにの見所もなし。

ふたむらの山の中にとまりたる夜、おほきなるかきの木のしたにいほをつくりたれば、夜ひとよ、いほのうへにかきのおちかかりたるを、人びとひろひなどす。

宮ぢの山といふ所こゆるほど、十月つごもりなるに、紅葉ちらでさかりなり。

あらしこそふきこざりけれみやぢ山まだもみぢばのちらでのこれる

三河と尾張となるしかすがのわたり、げに思ひわづらひぬべくをかし。

おはりのくに、なるみのうらをすぐるに、ゆふしほただみちにみちて、こよひやどらむもちゆうげんに、しほみちきなばここをもすぎじと、あるかぎりはしりまどひすぎぬ。

現代語訳

浜名の橋からの上り道は猪鼻という坂で、言いようもないほど寂しい所だ。そこを上ると、三河の、高師の浜だという。

歌に聞く八橋は、8つの橋が架かっているという話は名ばかり、実は橋の影も形もなく、何の見どころもない。

二村山の中に泊まった夜、大きな柿の木の下に庵を造ったので、ひと晩じゅう庵の上に柿が落ちかかってくる。人々はそれを拾ったりする。

宮路山という所を越える頃は、10月下旬なのにまだ紅葉が散らずに盛りだ。

嵐は吹いてこなかったのね。見れば、宮路山にはまだ紅葉が散らずに残っている。

三河と尾張の国境にある「しかすが」の渡し場は、歌に、

行けばあり行かねば苦ししかすがの渡りに来てぞ思ひわづらふ

と詠まれる所だが、まさにその通り、渡ろうか渡るまいかと悩んでしまうような趣がある。

尾張の鳴海の浦を通り過ぎる時に、夕潮がどんどん満ちてきた。今宵の宿をとろうにも中途半端な場所で、潮が満ちてしまったらここを通過することもできなくなるだろうと、一行は慌てて走り過ぎた。

いささかしるす

出てくる三河の地名の順序は実際の旅程とは違っていて、正しい並びとしては高師の浜、しかすが、宮路山、八橋、二村山の順です。