
ぬまじりといふ所もすがすがとすぎて、いみじくわづらひいでて、とほたうみにかかる。
さやのなか山などこえけむほどもおぼえず。
いみじくくるしければ、天ちうといふ河のつらに、かりやつくりまうけたりければ、そこにて日ごろすぐるほどにぞ、やうやうおこたる。
冬ふかくなりたれば、河風けはしくふきあげつつ、たへがたくおぼえけり。
そのわたりしてはまなのはしについたり。
はまなのはし、くだりし時はくろ木をわたしたりし、このたびはあとだに見えねば、舟にてわたる。
いり江にわたりしはし也。
とのうみはいといみじくあしく浪たかくて、いり江のいたづらなるすどもにこと物もなく、松原のしげれるなかより、浪のよせかへるも、いろいろのたまのやうに見え、まことに松のすゑよりなみはこゆるやうに見えて、いみじくおもしろし。
「ぬまじり」という所も滞りなく過ぎたあと、ひどい病気にかかった。旅は遠江に差しかかる。
歌に聞く「さやの中山」なども越えたのであろう頃のことも、覚えていない。
病気でひどく苦しい。天中川という川の畔に仮屋を造り設けてあったので、そこにとどまった。数日が過ぎるうちに、徐々に体調が回復する。
冬が深くなっていたから、しきりに川の風が激しく吹き上げては、堪えがたい気持ちになったものだ。
天中川の渡し場を越えて、浜名の橋に着いた。浜名の橋は、かつて京都から上総へ下向した折には黒木の橋を渡してあったのだが、今回はその跡さえ見えないので、舟で渡る。かつての橋は、入り江に架けられていた。
外海は大変ひどく荒れて波が高く、入り江の何の趣もない洲には、特別なものはない。
ただ、松原の茂っている中から、波が寄せては返すのが、色とりどりの玉のように見え、まさに、
君をおきてあだし心をわがもたば末の松山浪もこえなむ
と歌に詠まれるように、本当に松のこずえを波が越えるように見えて、とても風情がある。
いささかしるす
天中川とは天竜川の古名です。