臓器提供は布施行ではない
いらぬ身と人にあたへて悦ばば菩薩の行を軽んぜむなり
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[いらぬみと ひとにあたへて よろこばば ぼさつのぎやうを かろんぜむなり]
他宗派では「臓器提供は布施行」などと言う僧侶も少なくないと聞く。そういう論じ方は適切ではない。「不要になったら誰かにくれてやる」というのは、布施行とはいわない。それを布施行と呼ぶのは、菩薩に対する冒涜である。
今日改めてネットで検索してみたところ、「臓器提供は布施行」と説く僧侶があまりにも多いことに慄然とした。公式にそう述べている宗派もある。
仏教における布施行とは、すなわち喜捨である。こんなのは仏教の極めて基本的な概念だ。「臓器提供は布施行」を公式見解にしている宗派は、仏教学科の1年前期の授業内容すら理解できていないのか。
人それぞれ熟考を重ねた上で、家族ともよく話し合い、提供したければ提供すればいいし、提供したくなければ提供しなければいい。いちいち「布施行」という仏教語を誤用してまで正当化する必要はない。

Comments
臓器提供=布施行という定義は、臓器提供を奨励されるべき善行として位置づけ、死生観を固定化することを意味しています。
そのような僧侶たちは、果たして「死」というものをどのように捉えているのでしょうか。